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2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した同時多発テロで国内は混乱し、ニューヨーク証券取引市場は太平洋戦争開戦以来の市場閉鎖に追い込まれた。破壊された世界貿易センタービルでは多くの金融機関が入居しており、その被害も甚大だったことから、当時のFRB議長アラン・グリーンスパンは金融秩序維持の為に、これまでの政策を一転させて、全面的な金融緩和政策に転じ、米国国内は超低金利下となった。当時、日本発のデフレーションが世界的に伝播する懸念もあり、その政策は正当視されていたものの、その後の米国国内土地バブル景気の温床となった。
2003年3月19日に始まったイラク戦争によって、これまで非公式に輸出されていた世界第2位の埋蔵量を誇ったイラクの原油輸出が不可能となり、OPEC諸国の価格カルテル機能が復活するようになった。加えて、テロ攻撃回避から石油精製施設への設備投資が世界的に滞っていたこともあり、この結果、原油価格の上昇が加速された。産油国は余剰利益の運用をこれまでの金融市場での運用から分散させて商品市場への投資にまで拡大した。これによって、商品市況は上昇に向かい、資源価格が上昇したと共に、豪ドルやカナダドルに代表される資源国通貨も全面高となった。加えて、OPEC非加盟国であったロシアは原油価格の高騰で採算に難があった北極油田の採掘が可能となり、サウジアラビアを抜いて世界一の産油国となり、原油の輸出により、これまでの債務国から債権国に転じた。また、冷戦が終了したことにより経済のグローバル化が促進されたことで、BRICsに代表される新興経済発展諸国の経済発展が始まると共に新興経済発展諸国の外貨準備高も増加し、その資金運用が米国に向かい、世界的な資金がアメリカに集中するようになった。これが米ドル高となり、米国国内に流入した過剰流動資金が米国不動産市場にも流れてサブプライムローンに代表されるバブル経済を構築するに至った。
原油取引は米ドル決済で行われていることから当初は基軸通貨として安定した米ドルでの取引においては産油国の量的な規制は緩やかなものであったが、高騰する原油価格によって、世界経済全体ではエネルギー価格や資源価格の上昇から、インフレーションの懸念や代替燃料としてバイオマスエタノール等の開発が促進されたことで家畜飼料となる穀物価格が上昇して食料危機の兆候が出始めた。各国はインフレ警戒感から金融引き締めに転じ、米国との金利格差が生じることになったことや、イラク戦争当時指導者であったサッダーム・フセイン大統領が2006年12月30日に処刑されたことから、イラクの政情安定の見通しが拡がり、翌2007年から為替市場では米国からより金利の高い通貨国への資金移動が起こり始め、米ドルは下落に転じるようになった。
元々、双子の赤字と言われる財政赤字と経常収支赤字を抱える米国経済にとって、それまでの米ドルの高騰は砂上の楼閣のような存在であり、戦費の出費は米国連邦政府の財政を蝕んでいた。米ドルの下落が進んだことで、米ドル決済で行う原油取引において原油売却代金の実質収入が減少に転じ、その対策からOPEC非加盟国であるロシアや中南米諸国は原油の量的規制を強化して価格の一段の上昇を図った。これにより新興経済発展諸国の経済成長による実需の増加や折からの商品市況への投機熱も相まって原油価格は暴騰した。産油国では余剰利益の資金滞留が起こり、資金の循環が進まず、また、各国の金融引き締めから景気の鈍化が起こり、世界経済の停滞が始まった。米国でも2004年11月から金利が上昇に転じたことからサブプライムローンの借り手の破綻が発生するようになり始めた。その債権が証券化されて高利回りの金融商品として世界各国に販売されていたことで、借り手の破綻から証券価格が暴落して、購入していた世界各国の大口投資家であった金融機関に大きな損失を発生させた。特に大口の投資をしていた欧州の金融機関の損失は甚大で、その損失を埋め合わせる為に、流動性のある株式や債券の売却を進めることになり、株価や高金利通貨の下落に拍車をかけ、下げが下げを呼ぶ展開となった。この相場の下落で財務体質が悪化した金融機関に信用不安が起こり、金融危機が連鎖的に世界中に発生するようになった。
加えて、時価会計制度の世界的な採用などで、会計基準の厳格化が進み、各国の金融機関はこれまで以上に損失の計上を余儀なくされたことや、おりからのBIS規制の強化もあり自己資本を維持するために投資資金の回収や資金供給の停止などに動いており民間資金流動性の枯渇を招いている。