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4世紀頃から9世紀頃まで、大陸の文化が渡来人により伝わった。日本も遣隋使・遣唐使や留学生を派遣して積極的に中国の文化を取り入れた。大陸との往来が減った10世紀頃からは、これらの輸入された東アジア文化が日本特有の文化へと発展する。その後北宋との貿易により、禅宗が紹介され、喫茶の習慣が禅宗寺院に定着する。14世紀から16世紀の間、特に東山文化において、猿楽(後の能)や茶の湯(後の茶道)、枯山水などの庭園や書院造などの建築といった、現在「日本的」と考えられている「侘び・寂び」の文化が生み出された。その後、16世紀半ばからヨーロッパ文化がもたらされ、日本の文化に刺激を与えた。しかし後のキリスト教禁教や鎖国のため、ヨーロッパ文化の後世への影響は、喫煙の習慣などを除くと、地域的なものにとどまった。
17世紀以降の江戸時代には、安定と鎖国による閉鎖された環境の中で、日本独自の文化が発展し、江戸・大坂・京都の三大都市を中心に歌舞伎・浮世絵に代表される大衆的な文化が栄えた。
この間、北ではアイヌの文化が独自の様相を見せている。また、旧琉球王国領域は日本本土の文化の一部を摂取しつつも徐々に独自の文化を築き、琉球王国を形成する。これらの詳細についてはそれぞれの項を参照。明治維新を経てこれらの地域は完全に日本の一部に組み入れられたが、沖縄には今も独自の文化が残っている。
明治維新後、日本は近代的な国民国家としての体裁を整えた。国策の一部として欧米の文化が急速に取り入れられた(文明開化)。都市部では様々なものの欧米化が進み、庶民の生活に大きな影響を与えた。その一方で、日常生活では伝統的な生活習慣が根強く残り、特に地方では依然として伝統的な文化が維持されていた。地方農山村の伝統文化が解体されるのは、戦後の高度成長期である。大正期には経済の好景気などを受けてホワイトカラー層が誕生し、アメリカ風の大衆文化が取り入れられた。しかし、第二次世界大戦の戦時下では大衆文化は厳しく統制されていった。
に政府がポツダム宣言を受諾すると、連合国軍最高司令官総司令部のアメリカ軍が主導して日本の民主主義の復活強化を進め、それとともに日本の文化もアメリカ流の生活・文化を目標とするようになる。占領した連合国将兵の生活様式及び民間情報教育局 (CIE) の視聴覚教育によるアメリカ合衆国の公報映画を間近にみることは、各地で文化的衝撃を与えた。それと同時に、日本古来の文化は軽視されるようになった。
高度経済成長期に至ると従来の生活習慣は大幅に変わっていき、伝統的な文化の多くが失われていった。一方で、日本人は自信をつけ、自国文化を再評価するようになる。例えばに行われた大阪万博の太陽の塔は、縄文芸術をモチーフにしたものとされている。また、大衆文化においてアニメやマンガといった新しく生み出された日本独自の表現方法も、日本から世界に向けて発信されている。これらの日本文化は摩擦を乗りこえ、若い世代を中心に広がっている。