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大垣藩士・子安峻らの創業した読売新聞は、「文学新聞」として知られ、明治初期、日本最大の発行部数を誇った。明治中期以降、部数が衰えた読売新聞は、1919年、白虹事件によって東京朝日を退社した松山忠二郎たちをむかえ、「大正デモクラシーの梁山泊」として、プロレタリア文学などの発表の場となるとともに、政治・経済の硬派記事を加え、部数も3万部から13万部に急伸させた。1923年、関東大震災の襲来にともない経営不振に陥った読売新聞は、中興の祖、正力松太郎の手に委ねられる。
正力松太郎は、品川主計、小林吉政などの警察官僚をさかんに経営・販売に迎え入れ、「警察新聞」化をすすめる一方、アメリカのハースト系新聞社のイエロージャーナリズムにならい、警察ネタとセンセーショナルな記事を結合させる独自の紙面作りを推し進めた。とくに、暗黒街の取材に関しては他紙の追随を許さず、戦後は、原四郎社会部長の下、読売「社会部王国」を築き、「読売の在野精神」とよばれ、「庶民感覚」に根ざしたリベラルな論調を展開した。これは、絶対的な権力をもつ社長・社主の正力松太郎自身、自民党の政治家でありながら、社論に容喙することが少なく、また「販売の鬼」「販売の神様」と呼ばれた後任社長務臺光雄も、新聞の心臓部である編集に口を差し挟まなかったことが大きい。
1979年、渡邉恒雄論説委員長の誕生以降、紙面の編集方針や論調は右派・保守主義となった。現在は基本的に自民党支持、憲法改正支持、経団連支持、新自由主義経済改革支持である一方、「大連立構想」以降の社説等で見られるように民主党やその支持母体である労組への論調は厳しいものが多い。しかし、主筆渡邉恒雄が戦争経験者であるため、靖国神社(特に遊就館)における歴史認識には批判的で、小泉内閣の靖国参拝には反対した。
政府の政策に関し、政策分野によっては(憲法改正問題、防衛政策など)、社の見解(社論)を明確に打ち出すのが特徴である。他方、不得意な政策分野については、基本的に官庁発表をベースに報道を行い、官庁発表に顕れていない問題意識を独自に掘り起こすような記事に紙面を割かないのも特徴である。特に事件報道では裁判員制度を意識し、警察発表ではニュースソースを明らかにするなど、官の情報に頼らない記事を書いている。また、個々の記者の見解が前面に出るような記事が少なく、社論に沿った記事がほとんどであることも特徴である。
インターネット上のネットメディアに関する論調は、概ねネット犯罪について詳しく経緯を伝えている。ただし、ネットメディアの長所的な内容も伝えており、記事の論調は否定・肯定のどちらに舵を切るかは明確にしていない。どちらにしても、ネットメディアの隆盛は既存の新聞社にとって経営体質を弱体化するため、手放しで褒めることはできない実情が存在している。