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1.歴史
1.1.読売争議
第2次争議
「民主読売」の成立は他のマスコミに大きな影響を与え、さらには記者クラブ改革や新しい新聞の発刊にまで波及した。しかし、1946年に入るとチャーチルの「鉄のカーテン」発言から冷戦が事実上開始され、GHQの方針に微妙な変化が起こり、これが「民主読売」の前途に暗雲をもたらした。
1946年6月、馬場はGHQの支援を取り付けた上で、鈴木たち共産党員6名に退社命令をだした。これがきっかけで争議が再発した。民間情報教育局(CIE)は第1次争議では従業員側を影ながら応援していたが、この第2次争議では馬場ら経営側を応援した。従業員側はストライキで抵抗し、経営側の人間だった務台光雄はこれに対抗すべく警察担当となって、従業員排除のために警察やMPの出動を要請した。GHQの後ろ盾が急に無くなった従業員側は初めから不利であり、警察やMPともみ合いになって血まみれになりながら輪転機を守ったが、10月には鈴木ら労組の幹部だった37名が退社処分となって「民主読売」は崩壊した。
日本共産党などはこの争議を高く評価しているが、大勢的に見れば冷戦とそれによるGHQの方針転換に大きく振り回された争議と見ることもできる。また、馬場のイメージもあまり芳しくないが、馬場サイドから見ればGHQの方針転換に忠実に従ったまでのことであり、鈴木がそれを見抜けなかっただけだという見方もある。この争議の混乱が尾を引いて読売は社の体力が大きく疲弊。読売の民間ラジオ局「読売放送」の構想が挫折した(後にラジオ東京の前身の一つとなった)。
(出典:Wikipedia)
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