常陸国小川村(現在の茨城県小美玉市)に生まれた。父本間玄有と祖父本間玄琢は稽医館の創始者で、養父道偉も医者であり、名医一族の中で育った。17歳のとき、原南陽に入門し、その後、杉田立卿、華岡青洲、シーボルトなどに師事した。漢洋折衷の学識と医術で稽医館の晩年を飾り、水戸弘道館医学館教授となってからは、講義・治療・著述などに活躍し、水戸藩医政の第一線を担った。多くの人命を救ったことから徳川斉昭より救という名を賜った。