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2.お家騒動
2.4.正保の騒動
正保4年(1647年)、3代藩主信義を強制隠居・嫡子信政を廃嫡させ、信義の異母弟で幕府旗本の信英を藩主に擁立しようとする主君押込の企てがあった。計画段階で信義へ密告があり大きな騒動となる前に防がれている。異母弟や妹婿も処罰したが、信英については関与が明らかでないことやすでに旗本の身分であったことなど信義自身が信英に好意的であったことからなにも咎められなかった。
企ての背景には複数の要因があり、そのうち主なものは以下のとおり。
- 信義は藩政に功績がある反面酒乱であったといわれ女性関係にも問題があった。それら不行跡が幕府の目に留まり藩が処罰されることを恐れた。
- 信英は幕府に小姓として召し出されてから旗本へと出世し文武ともに優秀であった。
- 船橋騒動(前述)後から信義は積極的に藩政を指示し藩主権力の強化に努め、それに既得権益を失いたくない一派が反発した。
- 信義は長男だが母は側室の辰姫であり石田三成の孫にあたる。それに対し信英は次男ではあるが母は正室の満天姫であり徳川家康の義理の孫である。そのため幕府の感情への配慮、また幕府に阿るため、先代信枚の頃から信英を擁立したい一派が存在していた。
(出典:Wikipedia)