ランキングモンスター
2.お家騒動
2.1.津軽騒動
慶長12年(1607年)初代藩主為信の死後、為信の三男信枚と長男信建の遺児・熊千代が藩主相続を争った騒動。
熊千代を擁立したのは信建側近で信建・信枚の妹婿である津軽建広(旧姓大河内氏)で、彼は幕府に対し熊千代の藩主相続を訴え本多正信に訴状を提出した。訴状は正信に受け入れられ熊千代の相続が決定するかと思われたが、安藤直次がこれに反対した。
結局直次の主張が容れられ、慶長14年(1609年)に幕府から信枚の藩主相続を認められた。それを受け、信枚は熊千代派の粛清を行い、金信則は自刃、津軽建広らは大光寺城に立て籠もったが、高坂蔵人の活躍によって落城した。また、村市館では、熊千代の母方の祖父一戸兵庫之助が、松野大学信安と激闘を繰り広げた。
後、熊千代は肥後の加藤氏に仕えたが病弱のため辞し、信枚から合力金を受けて江戸に住し若くして死去したと言われている。津軽建広は津軽追放を命じられ、江戸城に医師として仕えた。追放後も津軽姓を名乗り続け、『寛政重修諸家譜』にも弘前津軽氏、黒石津軽氏とともに記載されている。
(出典:Wikipedia)
ランキングモンスタートップ>弘前藩>津軽騒動