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民進党は政策実行経験と人材の不足から、与党としての地位を確立後政治危機がたびたび発生した。政局の安定を図る陳水扁は国民党籍の国防部長唐飛を行政院長、游錫堃を副院長に指名したが、政権成立から僅か3ヵ月後には「八掌渓事件」が発生し、事件の処理に手間取った結果4名の作業員が死亡、游錫堃は自ら引責辞職し張俊雄が後任となった。
また「核四問題」では民進党は台湾の脱原発を政治理念としてきたが、原発推進派の唐飛がこの問題で行政院長を更迭され、張俊雄が後任に就任すると即時核四建設中止を発表。これが政治問題化し国民党により陳水扁に対する罷免要求に繋がった。民進党は妥協案として核四の建設続行を決定、これに反発する民主党内では前主席林義雄による反核四デモが発生した。またこの影響で株価が暴落するなど、経済的にも打撃を受けた民進党は、台湾独立志向の他勢力と緩やかな連合泛緑連盟を形成し政局を乗り切る政局運営が続いた。
2004年の総統選挙では泛藍連盟の国民党主席連戦と親民党主席の宋楚瑜の選挙協力が成立、前回の選挙で票が割れた泛藍支持者の票を統合する選挙戦略を実施した。これにより選挙戦は激しいものとなり、民進党の再選が危機的な状況になった。しかし、2月28日の二二八事件記念日に行われた人間の鎖活動での盛り上がりなど、台湾独自性意識の高まりもあって、状況は民進党有利となり、最終的には得票率差僅か0.22%で陳水扁が再選された。
ただし、投票前日の3月19日の319銃撃事件で陳水扁が銃撃される事件も発生した。これについては野党(当時)国民党は「自作自演で、陳水扁有利に働いた」と主張している。一方で民進党陣営は「拳銃で殺さないで傷を負わせるような狙撃をすることは不可能であり、また、中立的な世論調査機関『山水民意調査中心』の事件後の調査でも事件により投票行動を変えた人はほとんどいないことが証明されている」と反論している。
2004年末の立法委員選挙では、陳水扁は民進党が躍進し101議席で過半数を占めることを目指し、「台湾新憲法」や「軍購案」等の重要議題を次々に発表した。しかし最終的には2議席増加の89議席に留まり、これにより党主席職を辞任、柯建銘を代理主席とし、翌年1月27日に総統府秘書長蘇貞昌を後任党主席に選出した。
この結果を受け、それまで協力関係に軋轢を生じていた総統府と民進党党中央は和解の可能性を模索しはじめた。2005年2月高雄市長謝長廷を行政院院長に指名、「和解共生」で政府と党の団結を訴えた。また、2月24日には陳水扁は親民党主席の宋楚瑜と会談を行い、両岸関係、安全保障、台湾団結に関する10項目の共同声明を発表し政策協力を行なうことを発表した。
2005年末の三合一選挙(統一地方選)では政局運営で問題続出の民進党に対し、民衆からの支持率が高い馬英九を主席とする国民党が巻き返しを図り、12月3日の投票の結果、当選は南部6県市に留まり、長らく民進党の牙城とされていた台北県、宜蘭県の議席を失うなど、民進党結党以来の大敗北となった。選挙結果により蘇貞昌が党主席職を引責辞職、代理として副総統の呂秀蓮が党主席に就任するが、民進党内部からは呂の放言癖に対する反発が根強く、呂は辞任、2006年1月26日に新に游錫堃を選出して党内団結を図ろうとした。その後、陳水扁が総統と兼任する形で党主席となったが、2008年の立法委員選挙で定数113議席のうち27議席しか獲得できず大敗を喫し、陳は党主席を辞任した。さらに総統選挙では民進党推薦の謝長廷が国民党推薦の馬英九に敗れ、政権与党の座を失った。