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民主進歩党-野党時代について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
2.歴史
2.2.野党時代

1986年に結党後初めての立法委員及び国民大会代表選挙で民進党は20%以上の票を獲得する。以降民進党は街頭デモを繰り返し、当局に対し戒厳令の解除、民主直接選挙の実施、公共政策の調整を主張した。初期の民進党は「本土政党(台湾在来政党)」、国民党を「外来政党」と位置づけていた。一方、デモなどの街頭活動により、「街頭党」と蔑視の意味を含めた名称で呼ばれることもあった。同年11月10日に開催された第1回全国党員代表大会では江鵬堅を党主席に選出、台湾の前途は台湾により自由、自由、普遍、公正、平等の原則の下で決定されると規定する党綱領を採択した。

1987年中華民国総統蒋経国により戒厳令が解除され、民進党は総統の直接選挙を主張した。この時期民進党は「4つのif」と称される決議文を採択し、国民党が台湾人の利益を損なう行為を行なったり、両岸統一などの4内容を実行する時、民進党は台湾独立を支持するとした。

1991年民進党は第5回第1次全国代表大会で正式に台湾独立綱領と称される新しい党綱領を採択、その中で民進党の基本は住民自決の方法により独立自主的な台湾共和国の建国を目指すと明言し、台湾独立を主要な政治目標として掲げるた。

1992年立委選挙では民進党は得票率33%、翌年の県市長選挙では得票率44%を獲得した。1994年の台北市長選挙では陳水扁は国民党候補の黄大洲及び新党候補の趙少康に競り勝ち当選した。

1995年5月、施明徳は党主席に就任後、過去の過激な言動と決別する方針転換を行なう。同年9月には民進党政権下では台湾独立を行なう必要は無いと言及、12月14日には新党と「大和解」の前提の下会談を行い、許信良は「大胆西進」として中国と現実的に向き合う現実路線を打ち出した。1996年総統選挙では、民進党は初期の台湾独立指導者である彭明敏を候補者に擁立したが、国民党の李登輝候補が当選。施明徳は党主席を辞任した。

1997年県市長選挙では民進党は12県市で勝利したが、台北市長選挙では2期目を目指す陳水扁は、清廉なイメージで選挙戦略を展開したが、李登輝により新台湾人と評価された馬英九に敗れた。

1999年は翌年の総統選を考慮し民進党は基本政策に大きな変更を加えた。「台湾前途決議文」を採択し、台湾は既に独立国家であるが、国号は「中華民国」とすると現状追認の政策を発表し、中間層の取り込みを図った。同時に圧倒的な知名度を誇る陳水扁を総統候補に、美麗島事件参加者で、当時桃園県県長を務めていた呂秀蓮を副総統候補に指名した。李遠哲の支持を得るなど、連戦宋楚瑜を破り当選、初めての政権政党交代を平和的に実現した。

(出典:Wikipedia)

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