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3.政界進出
1979年に発生した美麗島事件が陳の政界に進出する契機となった。美麗島事件の被告弁護団に参加した陳水扁は主犯格とされた黄信介の弁護を担当し、党外活動(反中国国民党運動)に従事するようになった。1981年台北市の市議会議員選挙に立候補し、最高得票で当選した。同時期、台湾民主化運動の先駆者鄭南榕が創刊し作家である李敖が出資する自由時代系列雑誌社の社長に就任した。当時の雑誌社のスローガンは「100%の言論自由を!」であった。
1985年、議員辞職した陳水扁は台南県長選挙に出馬するが落選した。
1986年、蓬萊島雑誌事件で国民党立法委員馮滬祥から名誉毀損で告訴され懲役1年(後に8ヶ月)の判決を受けた。この事件で在野から裁判に対する非難の声が高まったが、陳は判決後控訴しないことを宣言し服役した。同年、呉淑珍が立法委員に当選し、翌年刑期満了で出獄した陳水扁は弁護士活動を再開する傍ら、呉淑珍の政策秘書として活動を再開した。
同年民主進歩党が結成されると、翌1987年に入党し中央常務委員に就任。1989年に立法委員に当選すると、民進党議員団幹事長となり、1992年には2期目を務めている。陳水扁が立法委員を務めた期間、国会での質問が評価され、また「国防組織法」を提出するなど積極的に活動し、1993年7月にはアメリカの雑誌『ニューズウィーク』で台湾国会の風雲児として紹介されている。
(出典:Wikipedia)
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