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22.語録
- 「愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする」
- 「死が全てを解決する。人間が存在しなければ問題は起こらない」
- 「君たちは戦車の上に百貨店を造るつもりかね」(多砲塔戦車の設計スタッフに対する皮肉。これをきっかけにソ連では多砲塔戦車の開発が中止された)
- 「社会主義が成功すればするほど階級闘争はそれだけ激しくなる」
- 「コルホーズ反対の反乱農民は富農であり、すべての富農を撲滅せよ」
- 「赤軍には捕虜は存在しない、存在するのは『反逆者』のみである」(冬戦争後、政府当局が公式に示した敵に捕らえられたロシア人捕虜に対する態度)
- 「ろくでなしがくたばりやがった」(ベルリン陥落の際、ヒトラー自殺の報告を聞いて)
- 「あいつは銃をまっすぐに撃つこともできんのか」(長男ヤーコフがピストルによる自殺未遂で失敗した際の反応)<ref name="Montefiore-Stalin">Simon Sebag Montefiore. Stalin: The Court of the Red Tsar, Knopf, 2004. page=11 (ISBN 1-4000-4230-5), </ref>
- 「チベット攻撃?けっこうなことだ」(毛沢東からチベット侵攻の許可を求められたときの返事)
- 「人命以外何も失ってはいない」(朝鮮戦争の休戦を求める金日成の要請に対しての返答)
- 「我々は同じアジア人だ」(1941年4月13日、日ソ中立条約調印時、スターリンが日本の松岡外相に言った言葉)
- 「うちのヒムラーです」(ポツダム会談の折、米英首脳に腹心の内務人民委員部長官ベリヤを紹介したときの言葉)
- 「策略を十分に練って、敵を完膚なきまでに倒したその晩に、上質のグルジアワインを飲むときだな」(記者から、「一番幸せなときは?」と聞かれたときの言葉)
- 「バチカンは、何個師団の軍事力を有しているのか」(バチカンの国力についての発言であるが、バチカンに軍隊は存在しないので、もちろん冗談である)
- 「では、われわれが農業集団化を実行したとき、なぜ黙っていたのですか。あのときだって200万人も死んだのですよ」(1937年、粛清の行き過ぎを仲間に指摘されて)
- 「よく刑務所なんかに入っている暇があったもんだ。戦争が始まったよ」(独ソ戦開始後、粛清された仲間を釈放して呼び出したときの冗談)
- 「ゾルゲは日本で小さな工場か売春宿でも経営しているに違いない!」(リヒャルト・ゾルゲからもたらされた、ドイツ軍のソ連進攻についての情報を読んだときの反応)
- 「兵士たちに少しぐらい、自主性を発揮させてやれ!」(1945年春、赤軍がドイツ人避難民に向けて砲撃をおこなったり、占領地でドイツ人女性を強姦していることについての返答)
- 「やれやれ、ドイツ人と一緒なら、我々は無敵だったのに!」(娘スヴェトラーナの証言。冷戦が深刻化した晩年、ナチス・ドイツとの同盟を懐かしんで繰り返した言葉)
- 「私はアジア人のことはよく知っているがね、あいつらとは時と場合によってはきびしく接しないといかんね」(1939年、ドイツの外務大臣ヨアヒム・フォン・リッベントロップとの会話での発言)
- 「奴は人殺しだ。1938年に多くの無罪の人々を殺した。だから銃殺したのだ」(スターリンの指示で粛清を実施し、のちに自らも粛清されたニコライ・エジョフについての言葉)
- 「私はもうおしまいだ。だれも信用できない。自分さえも」(1951年、スターリンがフルシチョフとミコヤンにつぶやいた言葉)
- 「チャーチルという奴は、見張っておかないと君のポケットから1コペイカ失敬するような男です。そう、たった1コペイカのためにポケットに手を突っ込むんです。ローズヴェルトは違う。彼はもっと大きな銭を取ろうとしてポケットに手を突っ込む」(1944年、ユーゴスラビアのジラスに語った米英両首脳の比較)
- 「いつまでも復位させることはない。しばらく連れ戻しておいて、適当なときに背中にそっとナイフを突き立てればよいのさ」(1944年、ユーゴスラビアのチトーとの対話で、退位したユーゴスラビアのペタル王の処遇についての発言)
- 「戦争は呪いである。我々は地上の全ての民衆と、平和のうちに暮らすことを望む」(1934年に、スヴェン・ヘディンがウルムチのロシア・クラブの壁の赤い幕に、金の刺繍で縫い付けられていたのを目撃したもの)<ref>『シルクロード(下)』(スヴェン・ヘディン著、福田宏年訳、岩波文庫) 20頁</ref>
- 「わしが小指をちょいと動かせば、あんな奴、吹き飛ばされて木端微塵さ」(1948年ごろにチトーを評した際の言葉)
- 「少年犯罪撲滅のためには仕方ない。教育的意味もあるんですよ。」(1935年4月、モスクワを訪問していたロマン・ロランに対し、死刑年齢の適用を12歳以上の未成年に拡大する法令が施行されたことに関して)
- 「農業集団化に対する農民の抵抗は激烈でしたよ。抵抗する農民どもには極北の土地をくれてやりました。」(第二次世界大戦中に会談したチャーチルに対して1930年代の農業集団化に対して聞かれたさい)<ref>『チャーチル回顧録』</ref>
(出典:Wikipedia)