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南部の日本軍は賀屋支隊を主体として、島袋方面から嘉数陣地へ遅滞行動をとりつつアメリカ軍を誘導した(嘉数の戦い)。アメリカ軍は首里(現那覇市の一部)の司令部を目指して南進するが、途中の宜野湾市付近には守備軍が丘陵地形と地下壕を利用した陣地で構え、進軍してくるアメリカ軍を何度も撃退した。賀屋支隊をはじめ、主陣地を守備した第62師団、第2線陣地を守備した第24師団の歩兵第22連隊などが激しい抵抗を見せている。戦闘は約50日間続き、この遅滞作戦は一定の成功を収めた。この間、4月12日には日本軍の夜間攻撃が行われたが、第62師団の1個大隊が全滅するなどかえって消耗が早まった。
4月9日、船舶工兵第26連隊の決死隊50人が神山島に潜入し、野戦重砲陣地の破壊を報じた。これに合同して海上挺進第26戦隊のマルレ40隻が出撃し、駆逐艦1隻を撃沈した。その後も、4月中に延べ60隻以上のマルレが出撃し、若干の小型艦艇を撃破している。
5月4~5日に、日本軍は反転攻勢に転じた。第32軍は、温存していた砲兵隊に砲撃を開始させ、第24師団と戦車第27連隊などを繰り出して普天間付近までの戦線回復を図った。船舶工兵第23、26連隊と海上挺進第26~29戦隊は、舟艇で海上を迂回しての逆上陸を試みた。本土の日本軍も、菊水五号作戦と第六次航空総攻撃を実施して掩護した。しかし、この総反撃は大打撃を受けて失敗し、日本軍は継戦能力を一気に喪失した。火砲や戦車の大半が破壊され、第32軍の戦死者は7000人に及んだ。第32軍の八原高級参謀はこうした結果になることを予想し、総攻撃実施には反対していた。
5月12日~18日にかけては、北部戦線より転進したアメリカ軍の第6海兵師団が、安謝川を渡り、首里西方の安里付近の高地で日本軍の独立混成第44旅団配下の部隊と激しい攻防戦を繰り広げた(シュガーローフの戦い)。アメリカ軍は著しい損害を受けるも一帯を制圧し、日本側は首里の防衛も困難な状態となった。この危機に大本営は、菊水七号作戦を発動し、制空権確保のために空挺部隊を飛行場に突入させる義号作戦も行ったが、戦況を動かすことはできなかった。
5月24日、第32軍司令部は南部島尻地区への撤退を決定。5月27日に津嘉山、30日にはさらに本島南端の摩文仁(まぶに)に撤退して新たな防御陣をたてた。この時点で第32軍は戦力の80パーセントを消耗していた。31日までにアメリカ軍は首里市を占領した。