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3.戦闘推移
3.7.北部の戦い
日本軍第32軍の作戦計画では南部を主戦場とすることになっていたため、北部(国頭地区)には独立混成第44旅団の第2歩兵隊主力(1個大隊)程度しか配備されていなかった。これに対してアメリカ軍は第6海兵師団を主力として攻撃をかけた。八重岳などの山地帯に拠って日本軍は抵抗したが、4月18日に本部半島突端に達し、22日までに制圧が完了した。
第6海兵師団の損害は戦死・行方不明243人、負傷1061人であった1。なお、北部は住民の避難地域に指定されていたため推定15万人の住民が県内疎開してきており、そのままアメリカ軍の管理下に入ることとなった。ただし、北部にいた住民のうち、かなりの者はアメリカ軍の北上後に山中に逃れて南進し、すぐには収容所に入らなかった<ref>豊田純志「『読谷村戦没者名簿』からみた戦没状況」『読谷村史 第5巻』</ref>。
4月16日に、アメリカ軍第77歩兵師団は、本島の北西海上に浮かぶ伊江島に飛行場を設置するため上陸した。伊江島には独立混成第44旅団第2歩兵隊第1大隊650名を基幹とする日本軍守備隊2000人(約半数は現地召集の特設部隊)が配置されていたほか、陸軍飛行場も存在したが、連合軍の上陸が迫った3月に飛行場は破壊放棄されていた。島民は人口8000人のうち5000人が残留していた。日本軍は島民多数とともに抵抗し激戦となったが、21日までに全島が占領された。
アメリカ軍によれば、日本側は民間人多数を含む4706人が戦闘により死亡し、149人が捕虜となった。アメリカ軍は218人が戦死または行方不明となり902人が負傷したほか、戦車・も含まれていた。アメリカ軍は、伊江島飛行場の本格使用を5月10日に開始した。
(出典:Wikipedia)
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