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今上天皇の即位の為、元号法に基づき平成元年(1989年)1月8日に改元。元号法によって改元された最初の元号である。
「平成」は、改元時の内閣総理大臣・竹下登ら政府首脳も決定前から執心していたという(渡部恒三)<ref>佐野眞一『ドキュメント昭和が終わった日2 元号「平成」の決定の瞬間』(『文藝春秋』2009年3月号掲載)</ref>。また、閣僚などを通じ、「平成」や「修文」などの候補が外部に漏れ、幾ばくかの国民の間では予想する事も可能であった。しかし、佐野眞一は『文藝春秋』に載せた記事の中で、的場順三内閣内政審議官(当時)が「元号は縁起物であり改元前に物故した者の提案は直ちに廃案になる」<ref>的場は新元号考案の委嘱を受けた人物には諸橋轍次、貝塚茂樹、坂本太郎の名をあげているが昭和天皇崩御前に物故したため彼らの提案はすべて廃案になったとしている。佐野(同掲文)</ref>と発言している。一方、宇野精一、目加田誠、山本達郎が新元号提案の委嘱があったことといわれ、目加田が「修文」を宇野が「正化」を提案したことを認めている。山本だけが「ノーコメント」を貫いたため佐野は山本が「平成」の提案者ではないかと「断定してよさそうである」と書いている<ref>佐野(同掲文)</ref>。
政府は、昭和天皇の崩御を受け、その当日(昭和64年(1989年)1月7日)の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と衆参両院正副議長に「平成」「修文」「正化」3つの候補を示し、意見を聴いた。その際、委員の間から「修文(しゅうぶん)」、「正化(せいか)」の2候補はローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になるので不都合ではないかという意見が出て、全員一致で「平成」に決まったと伝えられる。このことから、「修文」、「正化」ははじめからダミーの案であったと考えられている。
同日14時10分から開かれた臨時閣議に於いて新元号を正式に決定し、14時36分、内閣官房長官の小渕恵三が記者会見で発表。
と言いながら新年号を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされた。
同日、「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)は新天皇の允裁(いんさい)を受けた後、官報号外によって公布され、翌1月8日から施行された。また、「元号の読み方に関する件」(昭和64年内閣告示第6号)が告示され、新元号の読み方が「へいせい」であることが明示された。
尚、大正と昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・ワードプロセッサをはじめとするOA化に伴うプログラム等の変更を行うためと報道された。