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4.エピソード
- 馬を売って大学の学費に充てた苦学生という話がある一方で、地元の素封家、豪農という話もある。東京に出ずに道内の大学に進学していれば馬を売る必要はなかったと指摘する声もある。(加藤昭「鈴木宗男研究」新潮社)
- 1973年 金大中事件が発生、当時鈴木が秘書をしていた中川一郎と金大中にシンパシーを持っていた宇都宮徳馬がテレビの生番組で顔をあわせた際、宇都宮が中川に向かって「お前は韓国から金をもらっているだろう」と発言。これに怒った中川はコマーシャル中に、宇都宮を追い掛け回したが、鈴木も同調、さらには宇都宮の首をネクタイで絞めた。
- 1994年、自民党と社会党が連立政権に合意した。その首班指名選挙直前、議運理事だった鈴木は、自民党代議士会で「村山富市」の『いち』は市場の『市』ですから間違わないで下さい」「村山達雄さんもおられるので、村山富市とフルネームで書いてください」と自民党議員たちに投票における注意点を説明していたが、鈴木自身は直後の本会議で村山の対抗馬として新生党など連立与党が擁立した海部俊樹に投票し、造反した。
- 「野中氏が白を黒と言えば、自分も黒」と公言したことがある。
- 官公署の一般職員などに威圧的な態度をとる事で知られていた。国際交流基金に電話をかけた際、電話口に出た高円宮憲仁親王(当時、嘱託職員として勤務)を受付係と勘違いして怒鳴りつけたが、殿下だと判ると蒼ざめて、慌てて平謝りをした。
- 1998年のこと。鈴木は訃報を聞くまで、映画監督の黒澤明を知らなかった。また、それまで映画館に行ったこともなかった。秘書が黒澤の実績を説明すると、突然首相になったばかりの小渕恵三に電話し、「総理、黒澤監督は国民栄誉賞に値すると思います。ぜひ、ご検討ください」と言った。そのためかどうかはわからないが、黒澤は国民栄誉賞を贈られた。
- 国会での証人喚問の頃「ムネオハウス」に掛けたパロディー音楽が、インターネット上で流行した。その後2004年5月に札幌で行われた「ムネオハウス」のクラブイベントに「MCムネオ」名義で出演した他、2006年2月23日に東京都渋谷区のクラブ「シムーン」で「100%ムネオナイト」なるイベントに招かれて(自分の主催ではない)、なんと自らラップに挑戦した。
- 高校の後輩であるプロ野球埼玉西武ライオンズの三井浩二投手が、独自の変化球を先輩に敬意を表して「ムネオボール」と命名した。
- 保釈後、再当選してからは、テレビのバラエティー番組などのゲストに呼ばれている。また、ライブドア前社長、堀江貴文が逮捕された際には、かつて経験した拘置所内の生活についてインタビューされ、「手帳も携帯電話も全て没収されました。堀江さんのように、情報を扱う仕事に就いていた人にとっては、情報がシャットアウトされることが一番辛いでしょうね。」「私は生まれが貧しかったので、あの頃に比べればここ(拘置所)はまだマシだと思って辛抱しました」などと、コメントしていた。
- めちゃイケの企画で鈴木宗男のそっくりさんとして、坂田利夫が登場するはずだったが、坂田の仕事のため、「そっくりさんの代役」として鈴木宗男本人が登場した。
- 2006年5月3日に空き巣の被害に会い、警視庁赤坂署で調べたところ、1階応接室の窓ガラスが割られ、2、3階の部屋が物色されていた。夫人愛用の装飾品が数点盗まれた。
- ジョギングを日課としており、海外出張先でも怠らないほど。には健康を心配する家族の反対を押し切って、再び東京マラソンにエントリーした。結果、抽選に当選し出場する事となり、前年の記録を上回る3時間57分11秒で完走を果たした。日頃のトレーニングにより、還暦ながら大変引き締まった身体をしている。
- 松岡利勝とは酒席を共にして種々の相談をする等、文字通りの師弟関係にあったとされる。また、政界では『東に鈴木宗男、西に松岡利勝』と揶揄された時期もあった。
- 2007年7月の参議院選挙では、姫井由美子の応援に駆けつけ「岡山の虎(片山虎之助)を退治しに、北海道からクマが参りました」と演説した。
- 警視庁公安部に尾行されていた時期、ロシア関係者にGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)を使って、尾行をやめさせたという逸話がある。
- 多数の質問主意書を提出している。外務省の不祥事を追求する内容が大半だが、警察・検察に対する内容も多い。括弧内は当該会期で衆議院に提出された質問主意書の総数(撤回を含む)。
(出典:Wikipedia)
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