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吉田茂-辞めたくなったら…について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
2.人物
2.2.辞めたくなったら…

1946年(昭和21年)4月10日戦後初の総選挙が行われた結果、幣原内閣を支持する旧民政党系の進歩党は善戦したものの伸び悩み、旧政友会系の自由党が比較第一党となった。内閣は総辞職することになり、幣原は4月30日に参内して自由党総裁の鳩山一郎を後継首班に奏請、鳩山はただちに組閣体制に入った。ところが5月4日になって突然、GHQから政府に鳩山の公職追放指令が送付されると、状況は一変した。

自由党は急遽後継の総裁選びに入ったが、候補に登ったのは元政友会の重鎮で鳩山と親しかった古島一雄と、駐米大使や駐英大使を歴任し今は宮内大臣として宮中にあった松平恒雄だった。しかし鳩山が古島のもとを訪ねると古島は高齢を理由ににべもなく要請を拒絶。そこで鳩山は松平と親しかった外務大臣の吉田に松平説得を依頼した。吉田は半年前にも幣原に総理を引き受けるよう説得に赴いており、また1936年(昭和11年)にも広田弘毅の説得を行っている。外務省OBの説得なら吉田に任せればいいというのは自然の成り行きだった。果たして吉田が松平に会うと松平は色気を示したが、数日後その松平と直接会った鳩山は、その足で吉田を外相公邸に訪ね、なんと「あの殿様<ref>松平は元会津藩主京都守護職松平容保の四男で、長女の節子秩父宮の妃になっていた。</ref>じゃ党内が収まらない、君にやってもらいたい」と持ちかけてきた。これには吉田も仰天して「俺につとまるわけがないし、もっと反対が出るだろう」と相手にしなかった。

ところがこの日の夜から毎晩のように吉田のもとに押し掛けて後継総裁を受けるよう吉田を口説き、ついにはその気にさせてしまったのが、その手練手管から「松のズル平」とあだ名されていた元政友会幹事長の松野鶴平だった。しかもこうした松野の行動は鳩山の関知するところではなく、そのことを知った鳩山は「松野君は外相公邸の塀を乗り越えてまで吉田君に会いにいくそうじゃないか」と不快を隠さなかった。そもそも鳩山と吉田は友人だったが、この頃から二人の関係は次第にぎくしゃくし始めることになる。

一方の吉田はといえば、蓋を開けてみると松平に引けを取らないほどの殿様ぶりで、総裁を引き受けてもいいが、

金作りは一切やらない
閣僚の選考に一切の口出しは無用
辞めたくなったらいつでも辞める

という勝手な三条件を提示して鳩山を憤慨させている。しかし総選挙からすでに一ヵ月以上が経っており、この期に及んでまだ党内でゴタゴタしていたらGHQがどう動くか分らなかった。吉田は三条件を書にしたためて鳩山に手渡すと、「君の追放が解けたらすぐにでも君に返すよ」と言って総裁就任を受諾した。

5月16日、幣原の奏請を受けて吉田は宮中に参内、天皇から組閣の大命を拝した<ref>これが最後の「組閣の大命」である。</ref>。吉田は「公約」どおり自由党の幹部には何の連絡もせずに組閣本部を立ち上げ、党には一切相談することなくほぼ独力で閣僚を選考した<ref>小泉純一郎が総理在任中、党の意見を一切聞くことなく独力で閣僚を選考したのはこの例を踏襲したものである。</ref>。自由党総務会で吉田の独走に対する怒号が飛び交うのをよそに、22日に再度参内して閣僚名簿を奉呈、ここに第1次吉田内閣が発足した。戦後政治はここに始まる。

(出典:Wikipedia)

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