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1878年(明治11年)9月22日、高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士竹内綱の5男として東京神田駿河台(のち東京都千代田区)に生まれる<ref>『吉田茂とその時代(上)』 5-6頁には「吉田茂の実父と義父は若い武士として一八六八(慶応四、明治元)年の明治維新をはさむ激動の数十年間に名を成した者たちであった。その養母は徳川期儒学の誇り高い所産であった。…中略…吉田は1878(明治一一)年9月22日横須賀に生れたといわれる。父親が反政府陰謀に加わった科で長崎で逮捕されてからまもないことであった」という記述がある </ref>。 1881年(明治14年)8月に、旧福井藩士で横浜の貿易商(元ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長)・吉田健三の養子となる<ref>『吉田茂とその時代(上)』 9頁には「竹内もその家族もこの余計者の五男と親しい接触を保っていたようにはみえない」、11頁には「こうして生まれる前から実父に捨てられ、9歳で養父を失った吉田の幼年時代は養母から最も深い影響を受けることになった」という記述がある</ref>。 1889年(明治22年)に、養父・健三が若くして他界し、11歳の茂は莫大な遺産を相続した。少年期は、大磯町西小磯にて義母に厳しく育てられ、戸太町立太田学校(後の横浜市立太田小学校)を卒業後、1889年(明治22年)2月、耕余義塾に入学し、1894年(明治27年)4月に卒業する。同年9月から、日本中学(日本学園の前身)へ約1年通った後、1895年(明治28年)9月、高等商業学校(一橋大学の前身)に籍をおくが商売人は性が合わないと悟り、同年11月に退校。1896年(明治29年)3月、正則尋常中学校(正則高等学校の前身)を卒業し、同年9月、東京物理学校(東京理科大学の前身)に入学。1897年(明治30年)10月、学習院に移り、1901年(明治34年)8月に学習院高等学科を卒業。同年9月、学習院大学科に入学し、1904年(明治37年)7月まで通う。学習院大学科閉鎖に伴い、同年9月に東京帝国大学法科大学に移り、1906年(明治39年)7月、政治科を卒業、同年9月、外交官及び領事官試験に合格する。