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2.吉野川開発史
2.4.銅山川分水と利害の対立
一方愛媛県宇摩地方(現在の四国中央市一帯)では慢性的な水不足を解消するため、銅山川からの分水計画・銅山川分水を安政年間より計画していた。1924年(大正13年)に宇摩郡疎水組合が結成され翌年には「銅山川疎水事業期成同盟会」が結成されて法皇山脈を貫く導水事業の早期完成を行政に促した。これを受け愛媛県は1928年(昭和3年)に柳瀬ダムを銅山川に計画して利水・発電を目論んだ。
ところが下流の水利権を持つ徳島県が猛反発、1931年(昭和6年)に愛媛県と徳島県は「分水に関する仮協定覚書」を締結したものの徳島県議会はこれを批准せず、翌年には全会一致で分水反対を決議した。これを見た内務省は調停に乗り出し発電計画を中止する縮小案で妥協を図ったが、折からの戦時体制で軍需省が発電事業への参入を決定。混乱する中終戦を迎えることとなった。
(出典:Wikipedia)
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