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本名中沢信夫。出囃子は「二つ巴」。東京都出身で、岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)卒業後、国鉄に就職し、山手線新大久保駅の駅員の経歴を持つ。1945年9月に2代目に入門した。前座名は歌治。因みに2代目に入門した理由は吃音矯正の為に入門したが、その2代目も吃音者であったと、彼は「中沢家の人々」の中で語っている。1948年4月に二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴に改名した。1958年9月に真打昇進した<ref>戦後入門した噺家の中で真打第1号</ref>。
歌奴時代、黎明期のテレビ演芸番組に多く出演し、1960年代の演芸ブームでは売れっ子芸人の一人に目される。一時期「笑点」の大喜利メンバーとして出演していた。1967年に御前公演をした。この頃に自作の「授業中」で人気を博した事から、この時代の世代からは圓歌襲名後も「歌奴」と呼ばれる事があるという。 1970年、圓歌襲名後はテレビ出演を控え、高座に専念。1985年に出家し、圓法を名乗り、噺家と僧侶の二足の草鞋を履く。1987年には当時の落語協会副会長6代目蝶花楼馬楽の死去に伴い、副会長に就任。1996年8月、5代目柳家小さんの後任で、8代目会長就任。2006年6月から最高顧問に就任。後任の会長は2001年に死去した3代目古今亭志ん朝の後任で副会長に就任した5代目鈴々舎馬風である。
得意演目は「授業中(山のあな)」「浪曲社長」「月給日」(以上三作は「山のあな三部作」と呼ばれ、この三部作は必ず吃音者が登場する。)「中沢家の人々」「我孫子宿」「坊主の遊び」「西行」「湯屋番」「天皇陛下、初めて落語を聴く」など。未だに「山のあなやれ」と言われる事がある様である。
高座で「一時、年寄りが佃煮にする程いた」と言っているように東京都千代田区六番町の自宅に圓歌の両親、亡妻の両親、後妻の両親と6人もの年寄りがいた事があり、「未だに家には便所が6つある」と言っている。
しかも両親は圓歌が落語家になると言った際、父には息子である事を否定され、母には「おまえを産んだ覚えはない」とタバコを吸いながら言われ、更に「おまえが親類にいるとみっともない」と言う理由で戸籍からも抹消したにも係わらず圓歌が家を新築するや否や「同居する」と言いだした様で、圓歌は上記の事があったにも係わらず「一緒に住む」と言いた出した事に疑問を抱いていると高座で語っている。
| 三遊亭圓歌 | 本名 | 前代名 | 生年月日 | 没年月日 | 享年 | 得意ネタ | 弟子 | |
| 初代 | 泉清太郎 | 小圓右 | 明治10年(1877年) | 昭和2年(1927年) 10月22日 | 52 | 新助市 品川心中 等多数。 | 3代目三遊亭金馬 2代目三遊亭圓歌 (3代目と思われる。) |
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| 2代目 | 田中利助 | 柳喬 歌寿美 初代歌奴 | 明治23年(1890年) | 昭和39年(1964年) 8月25日 | 74 | 呼び出し電話 | 3代目三遊亭圓歌 3代目三遊亭歌笑 | |
| 3代目 |
中澤圓法 (中沢信夫) | 2代目歌奴 | 昭和7年(1932年) 1月10日 | 存命中 | - |
山のあな三部作 |
7代目三升家小勝 |
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