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王貞治-ダイエー・ソフトバンク監督時代について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
2.経歴
2.4.監督時代
ダイエー・ソフトバンク監督時代

1995年福岡ダイエーホークスの監督に就任。前年チームは4位ながら貯金9と躍進しており、この年も大物助っ人・ケビン・ミッチェルや、西武ライオンズから工藤公康石毛宏典が加入するなど期待は大きかったが、故障者続出などにより、借金18の5位に終わる。

1996年5月9日日生球場で行なわれた近鉄バファローズ戦では、この頃最下位を走るホークスのファンから、王や球団代表・瀬戸山隆三を強烈に批判する内容の横断幕が掲げられ、外野スタンドは試合前から殺伐としていた。試合は、初回秋山幸二の本塁打で先制したものの、先発の吉田豊彦があっさり逆転を許してしまう。9回表に吉永幸一郎の本塁打で1点差まで迫るが、2-3で近鉄に敗れた。

その後球場から出てきたホークスナインの乗ったバスに、「お前らプロか?」と言う罵声を皮切りに次々と生卵がぶつけられる事件が勃発した(いわゆる「生卵事件」)。この事に王は「俺はこんな仕打ちをされるために、博多に来たんじゃない!」と激怒した。この時、王は「我々が卵を投げ返すのは簡単だが、これをファンの意見と取るならば、勝つ事しかないんだよ」とコメントした(この試合は、日生球場で行われた最後のプロ野球公式戦である。それから10年後の2006年5月9日、日生球場の跡地で「生卵事件を偲ぶ会」を当時の近鉄ファンとダイエーファンが行っている)。

巨人監督を辞任する際にV逸の責任を「球団フロントから」問われたのとは違い、「チームのファンから」心無い仕打ちを受けるという、スター街道を進んできた王にとっては今まで味わった事のないほどの耐え難き屈辱を受け続けた時期が続いた。王はそれらに対し、ひたすら「俺は辞めない」「我々は勝つしかない。勝てばファンも拍手で迎えてくれる」と発言しながら耐え忍び続けた。

1998年は、シーズン残り5試合まで優勝の可能性を残す奮闘を見せる。その5試合は全敗したものの、オリックス・ブルーウェーブと同率で21年ぶりのAクラスとなる3位に入った。前身の南海時代から続いていたBクラスの連続年数はプロ野球記録であり、ホークスの低迷を象徴するものだった。この久々のAクラス入りによって選手の勝利に対する意欲が高まったことが、翌年の優勝につながる非常に意義のある年だったとも王は後に語っている。

また、巨人、ダイエー初期時代は、実績が劣るコーチ陣(王から見れば全員がそうだが)の進言になかなか耳を貸さず、コーチ陣も「世界の王にはどんな意見も釈迦に説法」と進言をあきらめ、両者の間に溝があった。例えば、王に相談せずコーチが選手に思ったことを指導し、事後報告したら、「それは監督が決めることだろう!」と怒鳴りつけたこともあったという。また、投手が完投する時代を生きた王は、投手交代の采配が苦手で、しかも投手コーチの意見をなかなか聞かないため、終盤リリーフ陣が打ち込まれる試合が多く、「閉店間際のダイエー大バーゲン」と揶揄された。
しかし1998年オフに尾花高夫投手コーチの招聘で投手陣の整備が進み、1999年の開幕前に根本陸夫球団社長の「お前達、何を構えてるんだ。この人は、今では『世界の王』と言われているが、昔はラーメン屋の倅だったんだ。お前達と何も変わりゃしない。そう思ってやりなさい」という言葉で王とコーチ・選手の溝が埋まった、といわれる<ref>TBS「ZONE」1999年10月28日放送</ref>。王も「選手というのは想像以上に俺の顔色をうかがっている。だから俺もあまり難しい顔をせず、選手が失敗を恐れず、のびのびできるようにしないと」と選手に歩み寄る発言をした。このあたりから、ホークスの台頭が始まったという。

監督経験を重ねた力が実を結び、1999年に球団創設11年目にして初のリーグ優勝、さらに中日との日本シリーズも制し監督として初の日本一になった。翌2000年もリーグ優勝してV2を成し遂げるも日本シリーズで敗退するが、2003年にも再び日本一に輝く(2度の日本一になった年の日本シリーズでの対戦チームの監督はいずれも星野仙一であった)。

2000年の日本シリーズは長嶋茂雄が監督を務める巨人との「ON監督対決」として注目された(この年の福岡ドームでの日本シリーズが変則日程で行なわれたが、3年前に福岡ドームを先約していた日本脳神経外科学会の日程を優先させたためである。上述のように、1997年までのホークスはBクラスの常連で、その当時はホークスの躍進が予想できず、学会の予約を承諾してしまったためだと言われている)。

2002年のドラフトで、スキャンダルが発覚して横浜ベイスターズに指名回避された多田野数人を事実を知った上で獲得しようとした。球団社長・高塚猛もGOサインを出したがオーナー・中内正の強い反対にあって実現はしなかった。

2004年6月7日には日本ハム戦で監督通算1000勝を達成。監督就任11年目となる2005年1月28日、ホークスのソフトバンクへの正式譲渡と同時に取締役副社長兼ゼネラルマネージャーに就任(監督もそのまま兼任)し、就任間もない時期からは考えられないほどの長期政権となった。

なお、指揮を取るホークスは2003年から3年連続レギュラーシーズン1位となったが、パ・リーグにおけるプレーオフ制度導入となった2004年、2005年と2年連続でプレーオフセカンドステージで最終戦まで行きながらも2004年は西武ライオンズに、2005年は千葉ロッテマリーンズにリーグ優勝を譲っている。

2006年3月開催の「第1回 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表チーム監督に就任。3月21日の決勝戦でキューバを10-6で破り、日本を初代チャンピオン(世界一)へと導き、選手・監督として名実共に「世界の王」となった。

この偉業が讃えられ、2006年12月12日、毎日スポーツ人賞の感動賞をWBC日本代表チームと共に受賞した。12月20日日本プロスポーツ協会からWBC日本代表として日本プロスポーツ大賞を受賞した。また、個人として日本プロスポーツ特別賞も同時に受賞している。なお、WBC期間中のオープン戦の監督代行は、チーフ兼内野守備走塁コーチ・森脇浩司が務めた。

2006年7月5日の西武戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)後に記者会見を開き、胃に腫瘍ができていることを発表。翌日よりの上部に生じたの治療のためチームを離れ休養に入った。監督代行はWBC開催時同様、森脇浩司コーチが務めた。

術前診断は粘膜下層までの浸潤、1群リンパ節転移7月18日慶應義塾大学病院腹腔鏡下に胃全摘・Roux en Y法再建と2群までのリンパ節郭清が行われた。8月2日に退院・記者会見。ファンを大切にする王らしく「みなさんの激励に支えられて生還できた」と喜びを語った。なお、術後の病理診断結果は公表されていない。

2006年9月29日、福岡ドームで行われたホークス2006年最終戦セレモニーに出席し、85日ぶりに公式の姿を現した。

2007年春の宮崎キャンプから監督業に復帰した。2007年シーズンは3位で、クライマックスシリーズでも第1ステージで敗退。試合終了後、選手達へ「来季はラストシーズンのつもりでいる」と、成績次第で2008年シーズン限りの退任を示唆したことを明らかにした。

2008年・7月1日~3日開催のセ・リーグ公式戦「巨人-ヤクルト」は永久欠番シリーズで「王貞治シリーズ」となっている。永久欠番シリーズとして開催されたものの「当事者は他球団のユニフォームを着て指揮」している唯一の監督となった。この日程はトレードマークである一本足打法が誕生した日(7月1日)に因んでいる。

2008年6月6日の交流戦で現役時代に日本シリーズで5度戦った「南海ホークス」の復刻ユニフォームを着用して指揮を執った。「南海ホークス」のユニフォームを着た初の外様指揮官(現役時代は所属経験無し)となった。復刻した濃緑のユニフォームに袖を通した際、「最近は派手なユニフォームが多いけど、こういう色はいいねえ」と感想を述べた。

同年7月8日の西武ドームでの埼玉西武ライオンズとの試合で、西武の細川亨捕手のブロックが走塁妨害だとして、5分近くにわたる審判団への抗議を行い、もし遅延行為と認められた場合は現役・監督時代通じて初の退場処分も心配されたが、杞憂に終わった。王は「あんなラフプレーはいかん。世界中にあの映像を流してもいいくらいだ」と激怒した。前年にも西武戦で多村仁外野手が同じく本塁上のブロックを掻い潜る際に負傷しているだけに、警戒感が高まっていたといわれる。

7月26日史上8人目となる監督通算1300勝を達成。オリックスの大石大二郎監督は「王監督は選手たちの力を信じて指揮を執っておられる。ただ、作戦はあまりないですね。」と評している。

しかしこの年は早々に久米・小椋が離脱、川崎が疲労骨折する(オリンピックでの強行出場も含む)等選手たちの故障が相次ぎ、9・10月の終盤に27戦21敗という大失速となって現れ、12年ぶりの最下位という不本意な結果となった。この終盤での低迷が王自身に監督退任を決断させる一因となった。

9月23日、試合終了後に記者会見を開き、体力的な問題を主な理由にシーズン終了で監督職を退くことを表明した。「50年、いい野球人生でした。50年間ひとつの道にこれだけどっぷりつかって、心をときめかせて68歳までやれたことは、とても幸せでした」と述べた<ref>日刊スポーツ</ref>。翌日のヤフードームでの本拠地最終戦では、オリックスに敗れて11年ぶりのBクラスが決定したが、試合後のセレモニーでは選手たちから胴上げされた。

10月7日、シーズン最終戦となるクリネックススタジアム宮城での楽天戦が最後の試合となった。この日の天気予報は雨。王自身は「オレに涙雨ってのは似合わないよ」と、対戦相手の楽天・野村監督は「今日は涙雨やな」とコメントした。試合は、投手戦となり0-0のまま延長戦に突入。試合終盤から時折小雨が降る状態となった。12回表のソフトバンクホークスの攻撃でチャンスに松中信彦が初球からど真ん中の直球を打つも併殺打に倒れた直後、雨が一気に激しくなった。そして12回裏に山崎武司のサヨナラヒットにて0-1で負けてしまい、最終戦を飾ることが出来なかった。この試合に負けた事により、楽天の5位、ソフトバンクの6位が確定した。試合終了後には「勝負師としては最後を飾れず残念」「野球好きな僕にふさわしく、12回もやれた。その点では良かった」と語った。試合後には敵地にも拘らず王の引退セレモニーが行われ、現役時代からライバルであった楽天・野村監督から花束の贈呈を受けた。

監督としての通算記録は、2507試合で1315勝(プロ歴代8位)1118敗74分だった。

監督退任後は、引き続きソフトバンク球団最高顧問となった。また、12月7日、読売巨人軍OB会の会長に、長嶋茂雄の後任として選出された。

(出典:Wikipedia)

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