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中国共産党を「北京」と呼称する事がある点が特徴である。文化大革命期に共同通信社を皮きりに他紙が次々と国外追放される中、朝日新聞のみが中国国内に残り、以降、産経を除く他社は中国当局の台湾支局閉鎖の要求を呑んで中国に支局を開局した。これとは対照的に、産経新聞は中国当局の要求を一貫して拒否し、結果として1967年に柴田穂記者が国外追放されて以降は、中国に支局を置くことすらない<ref>これは傘下であるフジテレビも同様である。</ref>状態で、日本の新聞で最も早く林彪の死亡推測記事を伝える<ref>当時、日本の全国紙としては、最後まで中国内に残留していた朝日新聞北京特派員秋岡家栄は、林彪が死亡したのではないかとの報道を北京に変化なしとして否定していた。</ref>など、むしろ政治的には中国を詳しく報道することとなった。以後、1998年までの31年間、北京に支局を置くことがなかった。1998年に、北京に再び開局した支局を「中国総局」とし、組織上「台湾支局」をその下に配置することで中国支局を再開した。産経新聞がこうして中国の支局を再設置した結果、マスコミ他社もそれに倣って同じ条件で台湾に支局を開局することとなった<ref>『産経が変えた風』ISBN 4594032982 皿木喜久 記</ref>。
=== 対・台湾 === 産経新聞は古くから蒋介石支持として知られ、国民党政権時代は、日本で最も親中華民国の新聞として知られていたが、日中国交回復の頃からその傾向をいっそう強め、1974年8月15日から蒋介石秘録の連載(~1976年12月25日)を開始、鹿内信隆は、蒋介石のあとを継いで中華民国総統に就任した蒋経国と会談した際に、蒋介石の日本への恩を忘れないようにとの思いでフジサンケイグループとして箱根彫刻の森美術館に蒋介石の威徳を讃える「中正堂」を建立したと述べている<ref>『今明かす戦後秘史』(共著)</ref>。
鹿内信隆社長時代には台湾の中国国民党政権を支持する立場から日本軍による中国での虐殺行為を肯定する記事やコラムを多数掲載していた<ref>2年にわたって掲載された『蒋介石秘録』には、南京大虐殺について40万人という日本新聞史上最大の被害者数が記述されていた。</ref>。また、鹿内自身が慰安所の設置運営に関与した事を認めていた<ref name="shikanai">『今明かす戦後秘史』(共著)。鹿内は陸軍主計中尉(陸軍省勤務)だった。</ref>。