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3.紙面
3.1.「不偏不党」の放棄
1958年、東京進出による借入金が34億8千万円、手形13億4千万円まで累積し、前田が住友銀行頭取・堀田庄三に財界からの支援を要請した結果、国策パルプとフジテレビ両社長を務めていた水野成夫が代表取締役に就任し、財界による「はっきりした保守新聞」の要望に答える形での紙面刷新を行った<ref name="documentsankei">『ドキュメント産経新聞私史』(高山尚武著 青木書店)</ref>。さらに、産経労組が新聞労連より脱退し労使平和協定を結び、御用組合となって社内の反対勢力を追放した。借入金累積額が28億円まで膨らみ水野が退陣すると鹿内信隆が社長に就任し、1969年7月には「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものに、今、日本の国内情勢が成っているでしょうか」「完全と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼的商業主義!」 と宣言し不偏不党の放棄と正論路線を打ち出した<ref name="documentsankei"/>。住田良能(後に社長)が編集局長となった1980年代から、この傾向はさらに強まった<ref>『月曜評論』2007年7月号</ref>。
戦後の日本が無批判に受け入れてきた民主主義・社会主義・進歩主義・平等主義に傾れてはならないと主張し、“このまま放置すれば日本精神の根幹を変えてしまい国の崩壊に繋がる”と訴えている<ref>『産経が変えた風』ISBN 4594032982 清原武彦 記</ref>。「“ナンバーワン”よりも“オンリーワン”を目指す新聞である」と公言し「新聞はみな同じではありません」「群れない、逃げない。モノを言う新聞」とのキャッチフレーズの下に独自路線を進むことを宣言した。
(出典:Wikipedia)
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