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「扶桑歌」の後部が切除され、その代わりに「抜刀隊」が現在の形で挿入された。その後、明治35年に更に中部が切除され、前奏後からすぐに「抜刀隊」の旋律に入るように改められ、現在の形となった。 <ref> 堀内敬三『ヂンタ以來』アオイ書房、昭和9年(1934年)p.52~p.53に、
「(前略)「扶桑歌」行進曲の中のトリオの部分をカットして其の代りに「拔刀隊」の曲をトリオにした行進曲があるのです。これは大正五年にセノオ楽譜から出た「観兵式行進」の初版がそれです。此の譜の中では既に「拔刀隊」の旋律が現形になつてゐます。此の行進曲は「扶桑歌」と「拔刀隊」との合成です。即ち序奏と主部が「扶桑歌」、トリオが「拔刀隊」です。明治35年5月に陸軍省で制定した分列行進曲は此の「扶桑歌」及び「拔刀隊」合成の行進曲から主部を省き、序奏から直にトリオ(即ち「拔刀隊」のふし)に入る様になつてゐます。ですから「扶桑歌」の名残りはたヾ序奏だけになつてしまつたのですが、陸軍にある吹奏楽用總譜にそれでもなほ Fou - so - ka の題がついてゐるのです。正に「扶桑歌」行進曲は「拔刀隊」に廂を貸して母屋にとられちまつたのです。セノオ楽譜の「観兵式行進」の第二版以後のものは此の方の譜です。
ですから、「扶桑歌」と「拔刀隊」とは實際上では名稱がごちやごちやになつてしまつたのです。」
・・・とある。 </ref>
もとの「扶桑歌」は陸軍分列行進曲では前奏のみに残り、トリオ部分は完全に切除されて「抜刀隊」がメインになった。<ref>堀内敬三『音楽五十年史』ISBN 4-06-158138-4(昭和52年6月10日講談社・講談社学術文庫)p.133~p.134</ref>
一方、明治45年出版の楽譜では、「扶桑歌の前奏 → 『bシ~bミーソ・bミーレー・bラ~ドーレ・ドーbシー』で始まる扶桑歌のトリオの繰り返し → 抜刀隊のトリオ」・・・の順番で編曲されており<ref>瀬戸口軍楽長校閲・音楽社編輯局編曲『扶桑歌 分列式行進曲』音楽社〈音楽社蔵版〉、明治45年(1912年)</ref>、当時、どこからどこまでが「抜刀隊」で「扶桑歌」なのか、また、陸軍分列行進曲がどの編曲を言うものかはっきりしてはいなかったことがわかる。
現在でも「陸軍分列行進曲」が「扶桑歌」と呼ばれることもあるのはこうしたことがあるためである。<ref>堀内敬三『音楽五十年史』ISBN 4-06-158138-4(昭和52年6月10日講談社・講談社学術文庫)p.133~p.134</ref>
現在の市販のCD等における陸軍分列行進曲のアレンジは、「『扶桑歌の前奏』→『抜刀隊のトリオ』→もう一度『扶桑歌の前奏』」で定着している。 <ref>陸上自衛隊サイト内の映像・画像・音楽ギャラリー(ページ後段近くの「行進曲」カテゴリから陸軍分列行進曲がダウンロードできる。)このリンクにある陸軍分列行進曲のアレンジも「『扶桑歌の前奏』→『抜刀隊のトリオ』→もう一度『扶桑歌の前奏』」である。</ref>