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6.影響
6.4.東アジア
日本
- 連合国による占領
- 敗戦後直ちにイギリス、アメリカ、フランス、ソ連などを中心とした連合国諸国による占領が開始され、司令部となる連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が東京に置かれた。
- GHQによる間接政治のもと、新憲法制定、農地改革、財閥解体などの大規模な国家改造が行われた。
- 駐留したアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍の兵士による日本人女性への強姦、殺人、略奪事件が多発するも、この蛮行は現在も不問とされている。その強姦によって生まれた混血児を収容する為に、岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜の努力によりエリザベス・サンダースホームが出来る。そしてGHQはアメリカ軍兵士の性行為の相手をする慰安婦を日本において募集している。
- GHQは1952年、サンフランシスコ講和条約が発効するまで存続していた。この条約により、日本はソビエト連邦、中華人民共和国など共産圏の国を除く連合国との講和が完了し事実上の主権を回復した。しかし同時に締結された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(日米安保条約)によって進駐軍のうち米軍は日本に駐留継続することとなった(在日米軍)。
- 領土の喪失
- 日清戦争以後に獲得した海外領土を全て失うこととなり、関東州租借地を中華民国(中国、以下同)に返還した。
- 韓国併合以降の朝鮮半島の実効支配を喪失し、アメリカ・ソ連軍両軍による分割占領状態になった。これが1948年以降の南北分断、そして1950年の朝鮮戦争につながっていく。
- 委任統治後に併合を宣言していた南洋諸島の実効支配を喪失し、アメリカによる信託統治に移行した。
- 沖縄戦によりアメリカ軍に占領されていた沖縄島をはじめとする琉球諸島(大東島・沖大東島を含む)や先島諸島(尖閣諸島を含む)は日本の潜在的主権を維持したままアメリカ軍政下に入った。一時は奄美諸島もアメリカの施政権の下におかれたが、1972年までに全ての地域が日本に復帰した。
- 小笠原諸島・火山列島・南鳥島・沖ノ鳥島もアメリカの施政権下に入った。これらの地域では一部の欧米系住民以外の民間人居住を認めなかったが、1968年に日本に復帰した。
- 南樺太・千島列島の実効支配を喪失し、ソ連による統治が開始された。ただし、日本政府は法的にはこの地域の帰属を未確定と主張している。また、日本政府は千島列島南部の国後島・択捉島について、日露和親条約により平和的手段で領有が確定していた固有の領土と主張し、北海道の属島である歯舞群島・色丹島とともに支配を続けるソ連に対して返還を強く求めることになった(北方領土問題)。
- 戦犯問題
- 1946年には、極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷され、戦争犯罪人は、戦争を計画し遂行した平和への罪(A級)、捕虜虐待など通例の戦争犯罪(B級)、虐殺など人道に対する罪(C級)としてそれぞれ処断された。また日本国内だけでなく日本以外のアジア各地でも裁判が行われ多くが処刑された。
- 勝者が敗者を裁くという構図のもと、きちんとした証拠も弁護人も不十分なまま、杜撰な手続き、裁判中の度重なる通訳のミスや恣意的な裁判進行などにより処罰・処刑(偽証罪が無かったため私怨による密告だけを元に処刑されたものがほとんどとする意見もある)が行なわれたと言われ、批判されている。
- その一方でこの裁判を全否定することは、戦後日本が築き上げてきた国際的地位や、多大な犠牲の上に成り立った平和主義を破壊するものとして、東京裁判を肯定(もしくは一部肯定)する意見もある。また、もし日本人自身の手で行なわれていたら、もっと多くの人間が訴追されて死刑になっただろうとする説もある<ref>半藤一利「昭和史」</ref>。
- この裁判で処刑された人々(特にA級戦犯)が、1978年10月17日に「昭和殉難者」(国家の犠牲者)として靖国神社に合祀されることとなり、後にこの扱いを巡って議論を引き起こすことになる(靖国神社問題、A級戦犯合祀問題)。
- 戦時賠償・抑留問題
- 日本の戦時賠償についての詳細は日本の戦争賠償と戦後補償を参照
- 近隣諸国との関係
- 日本は「アジアの列強植民地の解放」という名目で、当時欧米列強諸国の植民地であったマレー半島やシンガポール、中国大陸などアジアのほぼ全域に進出、欧米列強諸国の植民地政府を廃止し占領、軍政下においた。また、占領地のなかのいくつかの地域については、日本に友好的な指導者を後押して独立させた。
- しかし戦争当初の目的として資源確保のためにこれらの地を占領した日本にとってそれまでの宗主国の持っていたような資源・資産面など対植民地での優位な状態を保つことが出来ず、これらの地においては軍政の名において当初の目的以上に搾取することを余儀なくされ、各地に人的・資源的に過酷な状態を招いた。日本はこれらの国々に戦後賠償としての意味合いも含め、政府開発援助(ODA)を行うことになる。
- なかでも、第二次世界大戦以前から統治・戦争状態が長かった後に戦勝国となる中華民国に代わり現在中国大陸を統治する中華人民共和国や、現在中華民国の統治下にある台湾を別として大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国といった当時、併合した国や保護下においた地域にその後できた三国との間に対しては遺恨を残すことになった。朝鮮民主主義人民共和国以外では戦時賠償問題が国際法上既に決着している一方で、これらの国の国内事情も絡んで、現在でも歴史認識などの問題 <ref>南京大虐殺を巡っての論争や、靖国神社問題、歴史教科書問題、慰安婦問題などがある</ref>で日本側が非難されることが多く、中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国では激しい反日教育が行われている。又、大韓民国では日本統治時代の親日派の子孫の財産を没収する親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法や日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法の制定など、反日的政策が実行されている。(特定アジアの項も参照。)
- 皇室制度
- 天皇制を維持するか否か(国体問題)は、連合国占領軍の大きな課題であったが、長年の間多くの国民の支持を受け続けていた天皇制を廃止すると逆に占領統治上の障害が生じるとして、連合国内の一部の反発を退け、北東アジアにおける共産主義の伸張を食い止める目的もあり、天皇制は維持されることに決定され、昭和天皇の戦争責任も追及されずに終わった。
- 上記の決定に伴い、昭和天皇は統帥権の放棄を行うなど戦前に儀礼的に就いていた全ての地位から退き、新たに「国民の象徴」という地位を持つことになった。
- 天皇制こそ維持されたものの、アメリカの指導により華族制度が廃止され、また、直系の皇族以外は皇族としての地位を失う(臣籍降下)ことになった。
- 1910年の日韓併合と同時に日本の王公族となった李王家の継承者である李垠は、これに合せて臣籍降下され事実上李王家は廃絶された。その後大韓民国が設立された後も李承晩大統領の妨害などもあり王位に戻ることはなかった。
- 新憲法
- 連合国軍最高司令官総司令部のマッカーサー総司令官の指示、決裁の元、アメリカ人がその大勢を占める総司令部の民政局長であるコートニー・ホイットニーらの手によって新憲法の草案が作成された。それを基に日本政府案が作られ、帝国議会での審議を経て、1946年11月3日に「日本国憲法」として公布された。
- アメリカはこれ以前にも影響下に置いた中南米の国々に、アメリカにとって有利な内容を含む憲法<ref>軍隊の非保有、法律制定に対するアメリカ大使の同意権など。</ref>を半ば強要したことがあり、日本国憲法の制定もこれに習ったものだとの見方がある。また、日本国憲法が軍隊廃止条項をもつことから、冷戦時代は日米間の軍事協力に不都合なものとなり、冷戦後には国連などによる国際協力体制で軍事力の行使を含む平和維持活動を求められた際に問題となっている。このため冷戦時代より、この憲法が日本を不当に押さえ込む「押し付け憲法」と考え、改憲により「自主憲法」に変えようという主張・勢力が成立当初から存在したが、近年では自由民主党や民主党の保守系議員の一部を中心にその動きが盛んである。一方、日本社会党などの左翼政党はこれを軍備放棄の政策として歓迎(日本共産党は1960年代まで自主軍備や天皇制反対の立場から憲法改正を主張)、現在でも社会民主党、日本共産党などは護憲を主張しており、これらの間で「憲法改正論議」が冷戦時代から現在にかけて議論されている。
(出典:Wikipedia)