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6.影響
6.3.ヨーロッパ
ソビエト
- ヨーロッパ地域
- ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアからそれぞれ領土を獲得し、西方へ大きく領土を拡大した。旧東プロシアのケーニスベルクとその周辺は、カリーニングラードと改称して現在もロシアの”飛び地”として領有。
- 開戦前に併合したエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国への支配、ルーマニアから獲得したベッサラビア(現在のモルドバ)の領有を復活させた。
- 上記の新領土内の非ロシア人の住民を追放して、ロシア人などを入植させる国内移住政策が進められた。
- 進駐したソ連軍の軍事的な恫喝により、東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリアなどに親ソ共産政権を樹立し、衛星国とし影響下においた。
- チェコスロヴァキアではソ連支配に対する抵抗が強かったが、非共産党系の政治家を暗殺、処刑するなどして共産党が政権を手に入れた後、ソ連型社会主義をモデルにした国家政策が急速に進められた。ハンガリーでは、1956年にソ連支配に抵抗するハンガリー動乱が勃発したが、ソ連はソ連軍などワルシャワ条約機構軍を介入して圧殺した。
- バルト三国
- ロシア革命後に独立を果たしたエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国は独ソ不可侵条約に基づき、ソ連軍が一方的に進駐し、その圧力の下で、1940年にソビエト連邦に強制的に併合された。その後はナチス・ドイツの占領下に入るなどしたものの、大戦終了後に再びソビエト連邦に併合され、追放・処刑された三国の住民の代わりに、多くのロシア人が流入し居住することになる。エストニア、ラトビアの国境も変更され、ソ連の一共和国になった。再度の独立は冷戦後の1991年まで待たねばならず、ロシア系住民の処遇問題、エストニア、ラトビアはロシアと国境問題を抱えることになった。
- 極東地域
- 日本領の南樺太(サハリン南部)を占領し、さらに日本降伏後の1945年8月18日から千島列島へ侵攻し、色丹島・歯舞群島を9月5日までに占領した。1946年2月2日に、これら南樺太および千島列島の領有を宣言する。なお、これに対して日本は公的には認めておらず、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方領土については日本の領有を主張し、南樺太と得撫島(ウルップ島)以北については帰属未確定としている(詳細は北方領土を参照)。
- 日本が旧満洲に持っていた各種権益のうち、関東州の旅順・大連の両港租借権や旧東清鉄道(南満州鉄道の一部)の管理権の継承を中華民国に認めさせた。これは中華人民共和国の成立後、1955年まで続いた。
(出典:Wikipedia)
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