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アイルランド共和軍-IRA暫定派の分裂と北アイルランド紛争について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
3.軌跡
3.3.IRA暫定派の分裂と北アイルランド紛争

詳細はIRA暫定派を参照

統一アイルランドの実現を目指すIRAは、第二次世界大戦後もその活動を継続、1956年から1960年代初頭にかけては「ボーダー・キャンペーン」と呼ばれる一連のゲリラ攻撃を行なった。しかしこれは一般からの支持もまるで得られず、完全な失敗と見られる結果に終わった。これにより、組織内部で方向性の違いが顕在化し、1969年から1970年にかけて、完全な武装闘争主義で行くべきとする一派と、政治的に統一アイルランドを達成すべきとする一派とが分裂した。前者が「IRA暫定派」となり、1970年代から1990年代にかけての一般に「北アイルランド紛争」と呼ばれる事態において最重要視される勢力である。IRA暫定派は、1971年に導入された治安当局による一斉拘留(インターンメント)や1972年1月30日にデリー(ロンドンデリー)で発生した「血の日曜日事件」など、「イギリスによるアイルランドへの暴力的抑圧」を背景に人員と規模を拡大させ、プロテスタント系武装組織や北アイルランドに駐留する英軍や北アイルランド警察(警察のほとんどがプロテスタントであった)にゲリラ攻撃を加えた。

やがて、IRA暫定派は戦線を北アイルランドだけでなくイギリス本土(ブリテン島)にも拡大、1984年10月の「ブライトン爆弾テロ事件」(保守党の党大会会期中にサッチャー首相を標的としてホテルに爆弾を設置)など数々のテロ事件を行なった。ロンドンなどイングランドの大都市の公共交通機関も頻繁に標的になり、また、ロンドンのシティ地区やドックランズ地区といった経済的に重要な場所でも大規模な爆弾テロが行なわれた。マンチェスターバーミンガムといった地方都市でも爆弾テロは起きている。(詳細は英語版ウィキペディアの年表を参照。)

1916年のイースター蜂起での独立宣言にも見られるように、歴史的にIRAはマルクス主義的な側面を有してきたが、第二次世界大戦後の東西冷戦の構図の中、IRA暫定派はソ連リビアからの軍事的支援を受けて闘争を続け、スペインETAイタリア赤い旅団などのヨーロッパの左派系テロ組織との交流もあった。冷戦体制が終結するとこういった構図は壊れ、アメリカでの民間レベルでの募金などの支援といった形を除いてはIRAを援助する勢力はなくなった。

一方で、イギリス政府はサッチャー政権では強硬な対決姿勢が取られたものの、常に和平への取り組みが模索されており、70年代にはイギリス政府とIRA幹部らとの秘密交渉も行なわれていた。1990年代、サッチャー退陣後のメージャー政権で和平へ向けた動きが加速し、1994年にIRAは停戦を宣言した。1996年に停戦は一度破られた(動きが遅々として進まなかったことへの抗議だと解釈される)ものの、1997年には再び停戦。同年、労働党トニー・ブレアが首相となったことで一気に加速した和平への取り組みにより、1998年には和平合意が成立した。2000年代に入るとIRAの活動停止と武装解除への動きが具体化、2005年には武装闘争終結宣言に続いて武装解除の確認がなされた。2007年5月現在、IRA暫定派の武装活動は確認されていない。

(出典:Wikipedia)

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