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アイルランド共和軍-内戦、自由国成立と国土分裂について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
3.軌跡
3.2.内戦、自由国成立と国土分裂

1916年にはダブリンでイースター蜂起を行うが、兵力・弾薬不足と市民側の支援を得られなかったことが原因で、蜂起はわずか6日間で失敗する。イギリス総督府は、蜂起直後に蜂起の首謀者であるJIRAの幹部16名を即決の軍事裁判で処刑し、このことが蜂起に対しアイルランドの市民の同情的態度を呼んだ(ただし首謀者たちは武装したまま逮捕され、当人も容疑を認めていたこと、事実関係が明白だったこと、ドイツと連絡していたこと、彼らの反乱が多数のダブリン市民を巻き添えにしたことを考えれば、一方的な処刑だったとは言い切れない面がある)。蜂起に消極的だった穏健派のシン・フェイン党は、蜂起が市民の同情を得たところで上手く立ち回って人気を集め、1918年の選挙で議席を伸ばして躍進、1919年1月にはドイル・エアラン(アイルランド国民議会)の設立に着手し、マイケル・コリンズを軍事担当に任命する。臨時政府の国防大臣カサール・ブルッハーはIV(アイルランド義勇軍)をIRA(アイルランド共和軍)と改めた。一説によると、軍事部門に対するコリンズの影響力増大により、リーダーの私兵と化すこと(イースター蜂起で既にこの傾向があった)を恐れたシン・フェイン幹部らが、共和国の軍隊としての自覚を促すために改称したともいう。

その後、コリンズの指導の下での対英闘争の結果、1921年、臨時政府首班のデ・ヴァレラとイギリス首相ロイド・ジョージとの首脳会談が実現し、和平が成立する(英愛条約)。

この和平の結果、英連邦内の自治領「アイルランド自由国」が成立するが、あくまで完全に独立した共和国の設立を目指すデ・ヴァレラらは条約締結に反対し、アーサー・グリフィスやマイケル・コリンズら条約派と対立した。その結果IRAは、自由国軍に編入されるグループとデ・ヴァレラ派に分裂した(1990年代まで活動していたIRAはこのデ・ヴァレラ派の系列である)。そして、条約の賛否を問う国民投票でデ・ヴァレラら反条約派が敗れると、IRAは武装蜂起し、内戦がダブリンを中心に広がり、コリンズも何者かによって殺害される(コリンズを暗殺したのが誰だったのかはいまだに不明であるが、反条約派によるとする説、イギリス軍によるとする説などがある)。そして1921年に、内戦を格好の口実としてアルスター議会は自由国からの離脱を宣言、アイルランドは南北に分かれることとなった。

内戦後の苛酷な弾圧(デ・ヴァレラも首相になった途端に弾圧に転じた)のため、IRAは一時衰退した。第二次世界大戦においてアイルランドは公式には中立の立場を取ったが、非正規武装組織であるIRAはこの時期にナチスの援助を求めて代表者がドイツに渡航するなどしており、イギリスの一部である北アイルランドに対する攻撃について対独協力していたとの指摘もある。

(出典:Wikipedia)

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