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3.第四共和制
3.3.失墜
インドシナ問題を解決したマンデス=フランスは文字通り、息つく間もなく、北アフリカ問題に取り組んだ。1954年7月末、新デストゥール党のハビーブ・ブルギーバ(後のチュニジア初代大統領)と、さらにモロッコのムハンマド5世とそれぞれ交渉し、マンデス=フランスの後を襲ったエドガー・フォール内閣の時に独立を達成することとなった。しかし、このことは北アフリカに住むヨーロッパ系住民(いわゆるピエ・ノワール)の反発を買うことに繋がった。
1954年8月欧州防衛共同体(EDC)構想をめぐり、西ドイツの再軍備を懸念するフランス政府は条約の修正を提案したが、未承認に終わった。8月30日国民議会は欧州防衛共同体(EDC)条約の批准を拒否した。この結果、マンデス=フランス内閣は、MRPを中心とするEDCを支持していた勢力の離反を招くこととなった。
1954年11月からアルジェリアでは、テロが相次いで起こり、マンデス=フランスのアルジェリアへの譲歩政策に対する反発が右翼を中心に広がる中、次第に窮地に追い詰められていった。1955年2月議会による信任投票が行われ、激論の中、マンデス=フランス内閣は総辞職を余儀なくされた。マンデス=フランスの後任には、急進社会党右派の領袖でライバルであったエドガー・フォールが就任した。
1956年社会党(SFIO)のギー・モレ内閣が成立すると国務大臣として入閣するが、アルジェリア問題をめぐり、短期間で辞任を余儀なくされた。
(出典:Wikipedia)