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大日本帝国憲法-起草前後の政情について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
3.起草前後の政情

明治維新後の日本は不平等条約を改正し、欧米列強と対等の関係を築くために近代的憲法を必要としていた。しかし、当時欧米諸国以外で立憲政治を実現した国はなかった。民間の憲法案も多数発表されたが、憲法起草の中心になった伊藤博文に言わせれば、「実に英、米、仏の自由過激論者の著述のみを金科玉条のごとく誤信し、ほとんど国家を傾けんとする勢い」だった。伊藤の懸念には根拠がなかったわけではなく、1876年オスマン帝国トルコ)がオスマン帝国憲法を制定し立憲政治を始めたが、わずか2年で憲法停止・議会解散に追い込まれていた。また日本国内でも一部の保守派に絶対君主制を目指す動きがあった。伊藤は日本の現状に適合した憲法を目指した。それまで日本は幕藩体制の中でバラバラの状況であり、一つの国家と国民という結びつきが出来ていなかった。そのために、天皇を中心として国民を一つにまとめる反面、議会に力を持たせ、バランスの取れた憲法を制定する必要があった。

憲法の起草は、夏島(現在の神奈川県横須賀市夏島町)の伊藤博文別荘を本拠に、1887年(明治20年)6月4日頃から行われた。伊藤の別荘は手狭だったことから、事務所として料理旅館の「東屋」(現在の神奈川県横浜市金沢区)を当初は用いていた。しかし8月6日、伊藤らが横浜へ娯遊中に泥棒が入り、草案の入った鞄が盗難に遭ったことから、その後は伊藤別荘で作業は進められた。鞄は後に近くの畑で見つかり、草案は無事だったという。

東屋には、憲法ゆかりの地であることを記念して、1935年(昭和10年)に、起草メンバーの一人であった金子堅太郎書による「憲法草創の処」の碑が建てられた。その後東屋は廃業し、一時的に野島公園(同区)に碑も移転したが、現在は東屋跡地に近い洲崎広場に設置されている。

なお、夏島にあった伊藤の別荘は、後に小田原に移築され、関東大震災で焼失しているため現存しない。夏島の跡地には、明治憲法起草地記念碑が建てられてる。また、のちに伊藤が建てた別荘が野島に残っている(伊藤博文記念館)。

(出典:Wikipedia)

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