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3.業績
- ローマ市東北部に親衛隊の兵舎を新設し、それまで大隊単位で分散して配置していた親衛隊を一箇所に駐留させた。この措置はイタリア本国の治安の安定に貢献したが、代わりに親衛隊の力を増大させ、のちに皇帝位を親衛隊が左右する事態が頻発する原因の一つとなった。
- 人材登用に卓越した手腕を発揮し、身分出身地の分け隔てなく能力に応じて適材適所に登用した。そして能力さえあれば栄達の道が開かれるという空気は人的資源に大きな活力を生んだ。各自の責任分担の徹底によってしか広大な帝国の運営は不可能との思いから、情報伝達網を整備して注視はしつつもよほどの大事でなければ口出しせず、現場に一任した。歴史家モムゼンによれば、これらの人々は「ティベリウス・スクール」と呼ばれ、ネロの時代まで帝政ローマを支えていくことになる。
- 紀元27年、68歳のときにカプリ島に居を移し、渡航による連絡が困難になる時期には対岸で過ごすも、死ぬまでその周辺を離れることはなかった。皇帝が首都を離れたため政治は近衛軍団長セイヤヌスを経由することとなり、皇帝の書簡を承認するだけの元老院は完全に権威を失った。このことは元老院議員のティベリウスへの敵意を生んだ。なお、ティベリウスはアウグストゥスと戦略上の意見の相違から36歳の時にもロードス島に7年間隠遁していたことがある。
- 紀元31年、帝位の簒奪を企てた親衛隊長官セイヤヌスの粛清に伴い、セイヤヌス派と目される63人に及ぶ元老院議員とその一派を「尊厳毀損法(レクス・マイエスタティス)」により断罪した。ただしこれはティベリウス直接が断罪したものに加えて元老院議員同士の告発合戦も含めた数字である。
- カプリ島に移ってからは性的に倒錯した生活を送ったとされる。情交の相手は男女を問わなかった、児童性愛を好んだなどスエトニウスによって伝えられているが、それ以前に書かれた記録にはそうした話は一切書かれていないため、現在の研究者の間ではスエトニウスによる創作とされている。
(出典:Wikipedia)