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ティベリウス-セイヤヌス派の権勢と粛清について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
1.生涯
1.2.元首時代
セイヤヌス派の権勢と粛清

ゲルマニクス亡き後も、23年の時点でティベリウスの後継者候補として元首一家には実子小ドルスス、ゲルマニクスの長男ネロ・カエサル、次男ドルスス・カエサル、まだ幼いゲルマニクスの息子ガイウス・カエサル(カリグラ)がいた。男子としてはこの他にもゲルマニクスの弟にあたるクラウディウスもいたが長い間政治からは離れていた。

政治の実権を握ろうとしていた親衛隊長官ルキウス・アエリウス・セイヤヌスにとって、これら元首の後継者候補の存在は歓迎すべきものではなかった。特に年齢、経験、元首との関係などから実質上唯一の後継者となっていた小ドルススはセイヤヌスに対し明白に敵意を向けており、セイヤヌスの野心にとっては最大の障害となっていた。

そのためセイヤヌスは小ドルススの排除を計画する。まずは小ドルススの妻のリウィッラに近づき、その侍医エウデムスを計画に引き込み、さらに小ドルススの宦官リュグドゥスも共謀者に加えた。準備ののち少量ずつ毒を盛り、病死に見せて23年に小ドルススを殺害した。この暗殺は非常に巧妙に行なわれたため8年後セイヤヌス一派が粛清されるまで一般に知られることはなかった。

26年にティベリウスはカンパニアへと出発する。名目としてはカプアユピテルの、ノラでアウグストゥスの神殿を奉献するためであったが、実際には都の喧騒から離れたいというティベリウスの長年の願望の実現のためであった。同行したのはセイヤヌスのほか、元老院議員コッケイウス・ネルウァ、上級ローマ騎士クルティウス・アッティクスなどに限られ、それ以外はほとんどがギリシア人などの文人であった。カンパニアに滞在中、ティベリウスがタラキナに近い「スペルンカ(洞窟の館)」と呼ばれる別荘で食事をとっていたところ落盤が起こり数人が犠牲となった。このときセイヤヌスは身を呈してティベリウスを守り、以後その信頼は絶対的なものとなった。

29年、ティベリウスに匹敵する権威であったリウィアが死ぬと、ティベリウスは公の場でネロと大アグリッピナを攻撃した。結果ネロはポンティア島に、アグリッピナはパンダテリア島に流された。残ったドルススはアエミリア・レピダと結婚するが、セイヤヌスが罠にかける。30年にドルススはカプリ島からローマへ送られ、パラティヌスの宮殿に幽閉され兵の監視下に置かれた。さらにセイヤヌスは有力元老院議員であったガイウス・アシニウス・ガッルスも投獄した。

こうして対立者を排除していったセイヤヌスに、ティベリウスはこの頃から疑念を抱き始めた。しかしそうした考えを表には出さず、逆にティベリウスは自らの同僚として31年の予定執政官(コンスル)にセイヤヌスを指名した。同年にティベリウスとセイヤヌスは執政官に就任する。慣習からコンスルの一方はローマに居らねばならず、カプリ島から動かないティベリウスのためセイヤヌスはローマに釘付けにされた。ローマから動けないセイヤヌスはそれまで掌握していた元首への面会、書簡のコントロールを失い、新たに届くようになった情報でティベリウスはセイヤヌスへの疑念をますます強くした。それでも依然としてティベリウスは表向きはセイヤヌスへの信頼を見せ、全属州を統治するプロコンスル命令権の共有者、さらに向こう5年間の自身と同僚のコンスルとした。

5月始めにティベリウスがコンスルを辞任したため慣例によりセイヤヌスも辞任を強いられる。5月9日に二人の後任となる補欠コンスルが就任した。一般的にはこのころセイヤヌスはティベリウスへの陰謀を企てたとされる。しかしこの陰謀はサトリウス・セクンドゥスからティベリウスの弟大ドルススの寡婦でカリグラら残ったアグリッピナの遺児たちを養育していた小アントニアに漏れる。この情報がティベリウスに知らされるとついにセイヤヌスの断罪の日が訪れた。

10月17日にカプリ島でナエウィウス・ストリウス・マクロがセイヤヌスに代わって親衛隊長官に任命され、書簡を携えローマに送られた。翌10月18日にパラティヌスのアポロ神殿で元老院が開催される。レグルスはティベリウスの書簡の朗読を始め、その最後で決定的にセイヤヌスを弾劾していた。朗読の直後元老院議場は喝采に満ち、セイヤヌスは拘束され即日処刑された。

セイヤヌスの処刑後その一派の粛清が始まった。セイヤヌスの権勢は非常に強かったのでその友誼を求めた者も多く、粛清は他の元老院議員にまで及んだ。更にこれで恐慌状態に陥った議員達は告発合戦での同士討ちにまでなるが、それらは救済すべき人材でもないと見てティベリウスは概ね静観する。そしてこの時期に小ドルススの暗殺が判明した。またこれ以後ティベリウスは嫁や側近に裏切られたこともあり疑心暗鬼を強め、治世終盤の恐怖政治に繋がっていく。セイヤヌスの断罪は大きな障害なく行われ、結果としては実際に軍事力を握っていた有力者をカプリ島から出ずに滅ぼしたことで、元首の権威は圧倒的になり以後元首政は確立した。

以後も金融恐慌への対処など、カプリ島にあって必要な政務をきっちりとこなし続ける。「ティベリウスは老いて衰えた」とみたパルティアが不穏な動きを見せるが、これにもウィテリウスの派遣などきっちりとした対処を見せる。老いてなおティベリウスで在り続けたのである。

37年、77歳にて病没するが、彼の死はローマ市民の歓呼をもって迎えられた。

(出典:Wikipedia)

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