カールに先立たれた後、結婚相手を探していたジョージ3世の四男ケント公に求婚され、2子を婚家に残して1818年に再婚した。初めは物価の安いコーブルクに住んだが、子供を生むのはイギリスでと決め、妊娠中の身でありながらイギリスへ渡る。翌年5月に長女アレクサンドリナ・ヴィクトリアを生んだ。そのわずか8ヶ月後、ケント公が死去した。