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3.歴史
3.2.近代以降
その後、盛岡県を岩手県に改称させられ、莫大な御用金を課せられたり、旧藩を分断する県域を設定され弱体化を図られるなど敗戦の屈辱を味わう。しかし、これをバネに多くの人材を輩出。原敬が内閣総理大臣に就任して薩長藩閥政治を終わらせ議会政治の定着をはかるなど、近代日本国家建設に多くの功があった。
1889年に、南岩手郡盛岡が岩手県下で初めて市制施行し、盛岡市となる。1937年には、製鉄業によって発展した上閉伊郡釜石町が市制施行し、釜石市となる。1941年には、下閉伊郡宮古町・山口村・千徳村・磯鶏村が合併・市制施行し、宮古市となり、戦前までに3市が誕生した。
戦後、1950~1960年代には、山岳地帯のため交通の便が悪いことや、主な産業が新日本製鐵の釜石製鐵所位しかなく、所得水準が全国でも低いことから、自ら「日本のチベット」と呼び、政府の振興策を求めたこともあった。なおこの呼称は、1955年1月22日封切のニュース映画『カメラルポ 脚光あびる日本のチベット 岩手三陸』において用いられたことから定着したという。
その後、、2008年1月17日確認</ref>。
その一方で、情報の格差の是正は他の都道府県に比べ、大幅に遅れた。県内民間放送局のうち、後発2局は平成に改元されてからの開局だった。ただし、現在北東北においてTXN系列の放送局以外の各系列民間放送局がそろっているのは岩手県だけである。
2008年には、6月14日に岩手・宮城内陸地震(最大震度6強)が、7月24日に岩手県沿岸北部地震(最大震度6弱)の大規模地震が発生した。
(出典:Wikipedia)
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