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宮城県石巻高等学校卒、日本デザインスクール中退。その後役所勤め、第一広告社の商業デザイナーを経て、1966年8月に竜の子プロダクション(タツノコプロ)に入社。同プロでは笹川ひろしや吉田竜夫らの下で『おらぁグズラだど』『昆虫物語 みなしごハッチ』などの原画・演出を担当した他、作画チーフも務めた。
1975年に竜の子プロを退社した後は、しばらくフリーランスの立場でキャラクターデザイナー・作画監督・演出家として活躍。長浜忠夫の下で『勇者ライディーン』『超電磁ロボ コン・バトラーV』『闘将ダイモス』『未来ロボ ダルタニアス』といった日本サンライズ(現・サンライズ)制作のロボットアニメの作画・演出を経験し、1977年には『超スーパーカー ガッタイガー』でチーフ・ディレクターに初就任した。
1979年頃に作画スタジオ「スタジオドオタク」を結成して代表者を務め、1980年代からは、タツノコプロ時代以来の仲間が設立したスタジオぴえろ(現・ぴえろ)の作品に多く関与した。中でも高橋留美子作品との縁は深く、ぴえろが制作した『うる星やつら』のテレビシリーズには1981年の開始当初からドオタク所属の遠藤麻未・山本直子らとともにローテーションで参加した他、<ref>宮崎駿が高橋の『うる星やつら』での波の作画に感心したというエピソードもある(宮崎駿「動機付づけと思い入れ 対談者/押井守」『出発点 1979~1996』徳間書店、1996年、p328)</ref>オリジナルビデオアニメ『るーみっくわーるど』シリーズの『炎トリッパー』『ザ・超女』『笑う標的』の監督も務めた。
その後も長くフリーの演出家・作画監督として活動の拠点をぴえろに置いて活躍していたが、『劇場版BLEACH The DiamondDust Rebellion もう一つの氷輪丸』の制作に参加していた最中の2007年11月8日、肺癌のため66歳で逝去した。なお同作品上映時には、最後に「高橋資祐さん アニメーションと闘い続けた生涯に あなたの心は私たちが預かります」という追悼メッセージが映し出された。