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菊姫 (上杉景勝正室)-栄耀と斜陽について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
2.栄耀と斜陽

景勝との関係については、江戸中期に成立した軍記物奥羽永慶軍記』などの影響により、景勝の男色嗜好と女性嫌悪により両者の夫婦関係自体が非常に疎遠であったと<ref>出典;『直江兼続 戦国史上最強のナンバー2』外川淳著 株式会社アスキー・メディアワークス刊(2008年11月10日、アスキー新書)ISBN 4048674773
ただし当時は衆道(男色)は一般的であり、男色を好んだ大名でも妻や側室との間に子を残している(例えば菊姫自身の父武田信玄も小姓と関係を持ちながら正室や側室たちとの間に多数の子を残している)ことなどからも解るように、少なくとも当時においては夫の男色嗜好と夫婦関係の親疎の間には関連性は無い。
なお、『奥羽永慶軍記』は景勝は男色嗜好かつ女性嫌悪であると明記しているが、信憑性は極めて疑わしい。詳細は上杉景勝の項参照。</ref>する説もあるが、景勝の男色嗜好ならびに女性嫌悪を実証する一次史料自体存在せず、また両者の夫婦仲をはっきりと実証できる同時代的史料が現在のところ認められないため、実際のところは不明な点が多い。ただし残された記録などから判断する限り、景勝は菊姫に対して正室としての一定の敬意や配慮を行っていると見られ、彼女に対する好意や敬意は終生抱いていたものと思われる。

慶長8年、豊臣秀頼千姫との婚儀に際し上洛した景勝は、そのまま翌慶長9年8月21日に帰国の途につくまで伏見に滞在しているが、この間の同年2月に、米沢から駆けつけた義弟武田信清と共に菊姫の死を看取ることとなったと思われる<ref>この景勝の伏見滞在中に景勝の側室四辻氏は、慶長9年5月に米沢で一子玉丸(定勝)を出産したが産後の肥立ちが悪く、3ヵ月余り後(同年8月17日)に景勝の伏見出立を待たずに死亡した。</ref>。『上杉家御年譜』には、菊姫の看病のため、信清が急ぎ上洛したこと<ref>米沢武田氏系図や、『歴代古案』・『上杉編年文書』直江兼続書状にも、菊姫の重病が伝えられ、上洛したとの記述がある。</ref>、景勝が菊姫の病気平癒のため神社仏閣への祈願を行ったり、名医を招いたりしたことや、菊姫の死に際して悲しんだ有様についての記述がある<ref>「公(景勝)ヲ始メ奉リ、諸士ニ至ルマテ悲歎カキリナシ」。また、米沢林泉寺に菊姫の墓碑が建立された時期は景勝の存命中であるとする説もあるが、これを立証する一次史料やこれに準ずる史料は無く、根拠は全く無い。</ref>。

、景勝が側室四辻氏を密かに米沢城に入れ、景勝の子供を妊娠させたことに深い恨みと失意を抱いた菊姫が、嫉妬と悲憤の余りに自害した<ref>『上杉景勝をめぐる女たち』(新人物往来社 花ケ前盛明編 『上杉景勝のすべて』掲載文)、楠戸義昭著『「義」の家の礎となって◆虎御前、菊姫、四辻氏』(PHP研究所歴史街道 2009年05月号』掲載文)など</ref>という話や、四辻氏が死亡した原因は、激しい孤独と嫉妬から来る煩悶の末に憤死し、怨霊と化した菊姫の亡霊による祟りであるという話などがあるが、これらは定勝の生誕・菊姫の死去・四辻氏の死亡時期が偶然重なったことから唱えられたものに過ぎず、根拠は乏しい。

歌舞伎の『本朝廿四孝』のヒロイン「八重垣姫」は菊姫がモデルとされる。

(出典:Wikipedia)

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