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3.日本における成立と流れ

音楽業界と映像演劇業界ではその成立の流れが異なるが、前者でいえば太平洋戦争後の在日アメリカ軍の存在が、後者は新派や興行会社ではなくテレビ業界草創期の劣悪環境で働かされた、当時はアテ師と呼ばれた声優の存在がその誕生に大きな役割を果たしたとされる。アメリカ軍は軍隊であると同時にアメリカ文化発信の先遣隊としての役割も果たしており、その影響下に日本やドイツなど敗戦国の芸能文化は侵略されることになる。

日本の芸能は神事と結びついたのが始まりである。この内、権力側の庇護を受けて興行権を確立したのが文楽であり、歌舞伎であり、である。近代になって興行権を確立できなかった地下(じげ)のもので小資本の劇場主が演目を専門化したのが、関西の吉本興業のような存在である。ちなみに劇場に出られない役者や歌手は地方での公演で興行主やヤクザの世話になったとされる。

日本にはあらゆる業種や階層に縄張りがあり関西地方の群小の興行主へ既得権を手放す代わりに利益を生むように説得していった一人に山口組田岡一雄がいるとされる。田岡は差別に対しての反骨心からゲテモノと呼ばれていた美空ひばりへ肩入れしていくことになる。また母親と衝突するまで美空を可愛がった反骨人の竹中労は差別されていたはずの芸能事務所がやがて特権階級化することにも牙をむく。

アメリカ軍に話を戻すと、基地へ慰問する楽団や歌手に対して、軍は実力に従い評価を出してギャラや待遇に格差をつけた。機会は公平に与え、実力によりチャンスをものにする姿勢は門閥主義の日本の伝統には無かったものである。草創期の芸能事務所の社長の多くはジャズバンド出身者であり、このアメリカ流の実力主義に感化された野心家たちでもあった。最盛期には一説に8,000人もいたバンドでも実力派の引き抜き合戦が行われたとされるが、彼らは互いに協定を結びつけていく。これが出発点である。

東京の良家の子弟がジャズメンに多かったことが、また信用を得てコネを作るのに役立っていく。アメリカ軍の占領期間が終わった後も彼らの活動はジャズ喫茶や、大劇場の日劇においてロカビリーグループサウンズに結実していく。運動の指導者たちは音楽畑の人の比率が高かった上に、徒弟制度的な「師が弟子を育てて一本立ちさせる」に似た、厳しいが家族的な形態が主流であった。

芸能人の全体数が増加して行く中で、徐々にテレビ局や各種メディア業との連携、あるいは独自での企画・運営によるイベント主催、新人発掘、劇団経営など様々な関連事業が追加され、さらにバブル期には異業種への展開など多角経営化が進んでゆく。

1950年代、ジャズミュージシャンだった渡辺晋が芸能産業の近代化と、虚業・河原乞食などと揶揄されていた芸能人の待遇改善と地位向上を目的として、夫人の美佐松下治夫とともに渡辺プロダクションを創設し、これが現代型の芸能事務所の起源であるとされる。

多方面からの人材流入を受けた近年は、いわゆる文化人アスリートのメディア出演や公演活動時のマネジメントといった業務、他にはアナウンサーリポーター、司会専門を育てるというように多様化・マルチ化が進む。ただし、この業界は事務所の規模も大小様々である上、独立・移籍など人々の流動が激しい事から、詳細な実態は把みづらい面もある。

(出典:Wikipedia)

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