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7.近現代におけるキリスト教の展開
7.3.正教会の展開

ここではロシア正教会と、ギリシャも含めたバルカン半島における正教会の、近現代史の一部概要のみを記す<ref>川又一英『イコンの道 ビザンティンからロシアへ』東京書籍、2004年、ISBN 9784487798971</ref>。

ピョートル大帝以降のロマノフ朝の西欧型近代化政策により、ロシア正教会は国家の保護に入ると共に国家の強力な統制を受ける事となった。1721年にはモスクワ総主教座が廃止される。このような統制下でも、18世紀後半にはアトス山から正教修道精神の復興が起きた事も影響し、ロシア正教会の修道精神はなお盛んであった。この頃の著名な修道士にサロフの聖セラフィムなどがいる。

西方教会の影響を脱し正教の伝統的な精神を復興する事が企図された、正教聖師父の信仰を伝える書『フィロカリア』が1792年に出版されると、1793年には教会スラヴ語に翻訳され、ロシア正教会の精神的な再生に寄与した<ref>宇田進ほか『新キリスト教辞典』いのちのことば社、1991年、ISBN 9784264012580、305頁</ref>。

20世紀になると共産主義革命によってロシア正教は大きな打撃を受け厳しい状況を耐え忍ぶことになった<ref>高橋保行『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』教文館、1996年、ISBN 9784764263253</ref>。弾圧の程度は時期により強弱はあったものの、恒常的に教会は強力な弾圧の下にあった。聖堂外で司祭が祭服を着用して儀礼を行う事は許されず、墓地で正教会の司祭が埋葬の祈りを行う事すらも禁じられていた。それでもロシア正教会は一定の存在力を示し続け、1961年には世界教会協議会に加入した。ソ連崩壊後は、急速に勢力を回復している。

オスマン帝国の支配下にあった地域にあった正教会はコンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下にあったが、1830年にギリシャが王国として独立した事に伴い、ギリシャ正教会はコンスタンディヌーポリ総主教庁から1850年にアテネ大主教を首座とする独立教会としての地位を承認を得た。オスマン帝国の支配下にあったバルカン半島地域がナショナリズムの勃興によって独立国家群を形成していくなか、紆余曲折を経つつ、ブルガリア正教会ルーマニア正教会セルビア正教会などが独立教会としての組織を整えていく事になった。これらの教会もバルカン半島における共産主義政権のもとで辛酸をなめた事、共産主義政権の崩壊後に復活を遂げつつあることはロシア正教会と同様である<ref>オリヴィエ・クレマン『東方正教会』冷牟田修二・白石治朗訳、白水社〈文庫クセジュ〉、1977年、ISBN 9784560056073</ref>。

現在、正教会には9つの総主教座がある。その中ではロシア正教会が最大の信徒数を抱えており、教会に通う信徒数が3000万~4000万人、洗礼を受けた信徒数は約1億人ともされる<ref>非カルケドン派の信徒数は1500万人ともされる。</ref>。このほかの総主教座ではルーマニア正教会の1500万人、セルビア正教会(地域としては旧ユーゴスラビア圏内等)の800万人、ブルガリア正教会の600万人なども抱え<ref>宇田進ほか『新キリスト教辞典』いのちのことば社、1991年、ISBN 9784264012580、307-309頁</ref>、地盤の深さを示している。

(出典:Wikipedia)

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