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6.近世までのキリスト教の歴史
6.4.東西教会の分裂
4回目の分裂は、東西教会の分裂(大シスマ)である<ref>ジャン・ダニエルー『キリスト教史 4 中世キリスト教の発展』上智大学中世思想研究所編訳・監修、平凡社〈平凡社ライブラリー〉、ISBN 9784582761788、249-255頁「西側の見解」、255-258頁「東側の見解・キリスト教社会の東西分裂」など</ref>。9世紀ごろから対立が顕在化し、1054年にローマ教皇とコンスタンディヌーポリ全地総主教が相互破門しあうに至る。教義的には、東方教会が聖霊の流出を「父から」とするのに対して、ローマ教会が「父と子から」と改変したことに起因する(フィリオクェ問題)。西方教会側からは分裂の主な要因を政治的・文化的な問題、つまり西ローマ帝国崩壊後に神聖ローマ皇帝の下に徐々に政治的に結集してきた西ヨーロッパ世界が、東ローマ帝国に独立・挑戦したこととみなす傾向が強いが、東方教会側は教皇首位説などについての教義的な要因を主なものと看做す傾向が強い。但し、1054年の「相互破門」は20世紀になって両教会から相互に解かれているが、分裂の解消にまでは至っていない。
(出典:Wikipedia)
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