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西方ミトラ教はローマ帝国で兵士を中心に流行したペルシャ系の密儀宗教であり、3~4世紀頃にはやはり帝国内で流行していたキリスト教と激しく競合した。ミトラ教は、アケメネス朝ペルシャのオリエント征服と共に帝国内で広がったゾロアスター教などのペルシャ系の宗教を土台にして、セム系などのオリエント諸宗教が混宗して出来た宗教と考えられているが、その成立過程についてはよく分かっていない<ref>ミトラ教については、ミルチア・エリアーデ『世界宗教史Ⅱ』荒木美智雄・奥山倫明訳、筑摩書房、1991年、第217,218節を参照</ref>。
セム系のユダヤ教を母体としながら、やはり同時期のオリエント諸宗教の要素を取り込んで成立したキリスト教は、結果としてミトラ教と共通する要素が多々ある。これは古くから指摘されており、秘密の集会、教団内の堅いメンバーシップ、洗礼、堅信礼、日曜日の神聖視、12月25日を祝日とすること、厳格な道徳律、禁欲と純潔の重視、無欲と自戒の指導、天と地獄の概念、歴史の始まりにあった大洪水、原初の啓示、霊魂の不滅、来世の報い、最後の審判と死者の復活を信じることなど、両者の共通項は多岐にわたっている<ref>フランツ・キュモン『ミトラの密儀』平凡社、小川英雄訳、1993年、pp.140-141</ref>。このために、少なくともキリスト教側はミトラ教の儀式を「悪魔的な模倣」と呼んで非難したし、文献は残っていないがミトラ教側もキリスト教を非難しただろうと考えられている<ref>フランツ・キュモン『ミトラの密儀』平凡社、小川英雄訳、1993年、pp. 141-142</ref>。これらの共通性は、両者の発祥の地となったオリエントでの同時代性をまず考えるべきであるし、どちらがどちらに影響したということは資料が少なすぎてほとんど分かっていない。少なくとも朝昼晩の一日三回祈る習慣や、冬至(当時は12月25日)を祝日とすることを、ミトラ教からキリスト教が真似たことは確からしい<ref>フランツ・キュモン『ミトラの密儀』平凡社、小川英雄訳、1993年、pp. 142-143</ref>。
この二つの宗教の対立がピークに達するのは4世紀のことであり、コンスタンティヌス1世 (306 - 337) のときにキリスト教が公認され、ミトラ教に入信していたユリアヌス帝 (355 - 361) がそれを取り消し、それが次代でもういちど覆り、グラティアヌス帝 (375 - 383) が382年に出した勅令でミトラ教はもとよりすべての密儀宗教は禁止された。キリスト教の国教化とほぼ同時期にミトラ教は衰退したのである。