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1969年4月22日、リチャードとカレンは「カーペンターズ」名義でA&Mレコードとの契約を結んだ。当時の州法で19歳のカレンは未成年者だったため、両親も署名した<ref name = "webbio" /><ref name="cr76">のように、「ザ・~~ズ」ではないバンド名のほうがかっこいいと思ったからだと述べている<ref name="35thanniversary"/>。
A&Mレコードとの契約において、リチャードとカレンはスタジオ内における自由裁量件を与えられた<ref name="mpi"/>。『』へと題名を変えて再発された。
「涙の乗車券」のチャート・アクションは今一つ振るわなかったが、リチャードとカレンは") の175位にも選ばれている<ref>Rolling Stone Magazine: 500 Greatest Albums''</ref>。その年の最優秀新人部門をはじめとする2つのグラミー賞も受賞した。
「遙かなる影」が1位となった直後に、カーペンターズがカヴァーした「愛のプレリュード」(ポール・ウィリアムス/ロジャー・ニコルス作)がビルボード・ホット100で第2位を獲得し、アダルト・コンテンポラリーチャートでは首位を7週間保持した。リチャード自身もこの曲はグループの「代表曲」だと認めている<ref name="mpi"/><ref name="allmusic"/>。この曲はもともとウィリアムズとニコルズがクロッカー・ナショナル銀行のテレビCM曲として前年に作曲したものだが、リチャードはテレビで聴いたときにその曲のもつ潜在的な可能性にいち早く気づいたのである。「愛のプレリュード」はウィリアムズとニコルズにとって初めてのヒット・シングルとなった。
2人はその年の締めくくりとして、クリスマス・ソング「メリー・クリスマス・ダーリン」 ("") をリリースした。この曲は、カリフォルニア州立大学時代に2人の参加していた合唱団の監督を務めていたフランク・プーラーとリチャードが共作した作品で、1970年のビルボードのホリデイ・チャートで高位にランクインして、翌年以降も同じチャートにたびたび登場した。
一連のヒット・シングルやアルバムによって、カーペンターズは1970年代を通じてヒット・チャートの常連となった。1971年のヒット曲「ふたりの誓い」 (''"</ref>。
カーペンターズの手によって送り出された「雨の日と月曜日は」 (''"</ref>。
レオン・ラッセル/ボニー・ブラムレット作曲のシングル「スーパースター」 (''"</ref>。
1972年にリチャードは</ref><ref name="mpi"/>。
「トップ・オブ・ザ・ワールド」はグループのカントリー・ソングとしては最大のヒットとなった。1972年に出たこの曲のアルバム・ヴァージョンを聴いた</ref>、それにもかかわらず、一般からの需要は高いという判断により「トップ・オブ・ザ・ワールド」を1973年5月にシングルカットした。「トップ・オブ・ザ・ワールド」に対する世間の反応はきわめて大きなものだった。このシングルはカーペンターズにとって2枚目のビルボード1位の曲となり<ref name="allmusic"/>、今日に至っても世界的な知名度を保っている。
1973年のアルバム『</ref>。このアルバムのジャケットは、日本人デザイナーの長岡秀星の代表作のひとつである。
カーペンターズにとって初となるコンピレーション・アルバムは ''"</ref>。