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日本軍のジャワ島攻略部隊の輸送は3次にわたって計画されていたが、作戦が終了したのは第3次輸送が内地を出発する前だった。大本営では事前に開戦後103日頃ジャワ上陸、120日頃蘭印軍降伏と予想していたが、実際の日程は84日ジャワ島上陸、90日蘭印軍降伏申し出、92日降伏というものであった。連合軍は3月25日までにジャワ島内で82,618名が捕虜となった。内訳は蘭印軍66,219名、オーストラリア軍4,890名、イギリス軍10,626名、アメリカ軍883名であった。
蘭印の資源地帯を確保するという日本軍の計画は成功を収めた。その後の戦争期間中、蘭印は日本の戦争経済を支える資源基地として機能した。レイテ沖海戦でも栗田艦隊はバンカ島で燃料の補給を受け出撃していった。だが戦争の最終局面では海上護衛の失敗により内地との交通を絶たれ、蘭印は戦略的価値を失った。
蘭印では、フィリピンやマレーに比べて抗日運動は少なく、比較的穏やかな占領政策がしかれたが、それでも日本軍の軍需工場などで働く「労務者(ロームシャ)」として多くの人々が徴発され、泰緬鉄道建設などにも動員されて多くの犠牲者を生み出している。
日本軍による蘭印の占領はすでに揺らぎ始めていたオランダの植民地支配を終焉させる決定的な一撃となった。日本の敗戦から2日後の1945年8月17日、スカルノやハッタら民族主義者はインドネシアの独立を宣言し、インドネシア独立戦争へと突入していった。この独立戦争には3,000人以上の旧日本軍兵士が参加しインドネシア独立に協力した。
日本の敗戦後、オランダは多くの日本軍人をBC級戦犯として処刑した。オランダはヨーロッパで最も反日感情の強い国の一つとなり、1971年の昭和天皇のオランダ訪問の際には卵が投げつけられ、1986年にはベアトリクス女王の訪日が世論の反発により中止となった。日本とオランダとは400年にわたる交流の歴史を有していたにもかかわらず、戦争は両国間に拭いがたいわだかまりを残した。