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太平洋戦争緒戦における日本軍の最大の目標は蘭印(オランダ領東インド、現在のインドネシア)の石油資源の獲得にあった。開戦時の作戦計画である南方作戦の基本構想は、イギリス領マレーとアメリカ領フィリピンを迅速に奪取し、これらを踏み台として蘭印を攻略し、資源を確保すると共にスンダ列島に防衛線を形成するというものであった。
オランダは17世紀以来300年以上にわたって蘭印を植民地支配していた。蘭印は東西4,000キロ、面積190万平方キロ、当時の総人口6,000万人という広大な地域であった。ジャワ島には人口の3分の2が集中し、オランダの総督府は同島のバタビア(現在のジャカルタ)に、軍事中枢はバンドンに置かれていた。蘭印で最大の油田はスマトラ島のパレンバンで、ボルネオ島(カリマンタン島)のバリクパパンやジャワ島東部にも油田があり、1939年の年産量800万トンは当時の日本の年需要量500万トンを上回っていた。他に錫、ボーキサイト、ゴムなどの戦略物資も産出していた。オランダ本国は1940年にナチス・ドイツによって占領され、ウィルヘルミナ女王の政府はイギリスに亡命していた。
日本軍は蘭印攻略を担当する部隊として第16軍を編成し、軍司令官に今村均中将を任じた。蘭印作戦には多くの困難が伴うと予想された。第一に、マレー作戦、フィリピン作戦、香港作戦を経た後に実施されるため、奇襲ができず、また参加する部隊には再使用される部隊が多かった。第二に、長途の渡洋作戦であるため制海権・制空権の確保が必須であり、島々を順次攻略して航空基地を進出させていくことが作戦遂行上の要点であった。第三に、油田の設備を連合軍によって破壊される前に確保するという特別な任務が伴っていた。
日本政府はできれば蘭印への無血進駐を実現したいと考え、1941年12月8日の大東亜戦争宣戦の詔書でもオランダを交戦国から除いていたが、オランダ政府は12月10日に日本政府に対して「日本がオランダと密接不可分の関係にある米英両国に対し戦端を開いたので、日蘭間に戦争状態が存在するに至った」と通告した。それでも日本政府は、開戦以降のマレー半島や香港での有利な戦況を背景として、オランダ政府に対してスイス経由で工作を行ったが、オランダ政府は進駐を拒絶した<ref>『戦史叢書 蘭印攻略作戦』, p.174</ref>。1942年1月11日、日本軍はオランダ領のタラカンとメナドへの進攻を開始し、翌12日、日本政府は「日蘭間に戦争状態が存在するに至った」旨の声明を発した。