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(日付は全て現地時間) 4月5日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーリーグの公式戦初先発。気温2度という厳しい寒さのカウフマン・スタジアムで、最速95マイル(約153キロ)の速球と多彩な変化球を武器に、7回までをソロホームランによる1失点のみに抑え、10奪三振で初勝利を挙げた。
5月第3週にはア・リーグ週間MVPを受賞。レギュラーシーズン最後の登板となった9月28日の対ミネソタ・ツインズ戦では、石井一久の14勝を上回り、日本の新人投手としては史上最多となる15勝目(12敗)を挙げた。
プレーオフでは10月5日、ア・リーグのディビジョンシリーズでロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとの第2戦に初登板し、4回2/3を3失点で勝敗はつかなかった。クリーブランド・インディアンスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、1勝1敗で迎えた10月15日の第3戦に登板したが、4回2/3を4失点で降板し、敗戦投手となった。10月21日の第7戦で松坂が再び登板し、5回を2失点。松坂は日本人メジャーリーガー初のプレーオフ勝利投手となった。
西武時代の先輩である松井稼頭央の所属するコロラド・ロッキーズとのワールドシリーズでは、2勝0敗で迎えた10月27日の第3戦で登板。自らのタイムリーヒットなどもあり(バッティングで後述)、6点の援護を得て、5回1/3を2失点。松坂は日本人メジャーリーガー初のワールドシリーズ勝利投手となった。レッドソックスは翌日の第4戦にも勝利してワールドシリーズ優勝を果たし、松坂はチャンピオンリングを手にした。
1試合の平均球数は108.8球で、これはメジャーリーグでトップとなる数字だった。
3月25日に東京ドームで行われたオークランド・アスレチックスとの開幕戦に先発し、5回2失点で勝敗はつかず、チームはサヨナラ勝ちした。その後、無傷の8連勝を記録するも、5月27日のシアトル・マリナーズ戦で右肩回旋筋腱板の張りを訴え、故障者リスト入り。6月21日に復帰したものの、オールスター初出場はならなかった。
8月14日の対テキサス・レンジャーズ戦を7回無失点に抑え、14勝2敗という成績にMLB公式サイトのトップにてCY-Kと、愛称のDice-Kに歴史的名投手サイ・ヤングの名前をかけてもらうという名誉を受けた。
9月21日のトロント・ブルージェイズ戦では、野茂英雄が3度記録した16勝を上回り、日本人最多となる18勝目を挙げた。
前年と同じ顔合わせとなった10月3日のディビジョンシリーズ第2戦・エンゼルス戦では、5回3失点で勝敗はつかず、チームは9回に勝ち越して勝利した。10月10日のリーグチャンピオンシップシリーズ第1戦・タンパベイ・レイズ戦では7回0/3を無失点に抑えて勝利投手となった。10月16日の第5戦では、4回0/3を5失点で降板したが、チームは7回2死まで0-7からの大逆転でサヨナラ勝ち<ref>ポストシーズンでは、1929年のワールドシリーズでアスレチックスが8点差を逆転して以来の逆転劇で、松坂は敗戦投手を免れた。</ref>。しかし、チームはリーグ優勝を逃して2年目のシーズンを終えた。
この年は前年に比べ与四球が増えたものの、レギュラーシーズンの被打率はリーグ1位<ref>.211 で、ア・リーグ1位。MLBサイト</ref>の低さを誇り、走者が貯まると更に下がる。プレーオフを含めて満塁のピンチは15度あったが、押し出しと犠飛こそあったものの、全てノーヒットに抑えた。
またロードでの試合は無敗で.8620という勝率を記録しメジャーリーグ歴代勝率25位にランクインした。
サイヤング賞の投票では4位となった。
の第2回ワールド・ベースボール・クラシックでは、東京ドームで3月7日に行われた第1ラウンドA組の第2戦・韓国戦に先発し、初回に金泰均に2ラン本塁打を浴びたものの、以降は立ち直って4回2失点にまとめ、打線の援護もあって勝利投手となった。ペトコ・パークで3月15日に行われた第2ラウンド1組の初戦・キューバ戦では、6回無失点の好投で2勝目を挙げた。ドジャースタジアムに舞台を移した3月22日の準決勝・アメリカ戦では、4回2/3を2失点で勝利投手となり、3勝目を挙げた。チームは翌日の決勝戦で韓国を破って優勝を決め、最多勝の松坂が2大会連続で最優秀選手に選ばれた。
シーズン序盤ではいきなり大不振に陥り、故障者リスト(DL)入りしてしまう。地元ボストンを中心とした米国の複数メディアにおいて、WBCの後遺症が指摘された。