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3.地名の由来
「神奈川」の由来には諸説あるが、過去によく知られているものは、いずれも民間語源説である。これらは非科学的で地名語源としては認められないとの意見がある。
- 昔、神奈川宿の西の町と仲の町の間に小川があった。その川は水源が解らないので、上(かみ)がない川、上無川(かみなしがわ)と呼ばれていた。いつからか、文字が脱落して「かな川」と呼ぶようになった。これは江戸期の文人が、江戸の品川を下無川、神奈川を上無川とペア地名と見たもので、いわゆる民間語源説である。言語的にも「かみなし」が「かな」となったとするのは無理がある。東海道を歩いた文人が庶民から聞いて広めた俗語源というべきもの。
- 日本武尊が東方へ赴く際、上無川で船出の用意をしていた。日本武尊が船に乗る時、倭姫命に貰った宝剣が水面に映り、金色に輝いたので、この地を金川(かながわ)と名付けた。それから長い月日が流れ、源頼朝がこの地を訪れた時、金川の風光を賞し、「金は西の方角を司ると言う。西は上にあたり、皇城の方角でもある。ここは神が大いに示す地である。」と言い、大いに示すを「奈」の字とし、金川から「神奈川」となった。これも典型的な地名伝説であり、ほとんど文字遊びの域を出ず、地名の学問的な由来としては認められない。
- 古文書には、「神奈河・神名川・上無川・狩野川・かの川・かな川」等と記されており、これらが変化して「神奈川」になったと言われている。埼玉県にある「かな川」などの例を見ても、「かな」とはある種の地形、つまり川の形状を表した語彙と考えるのが自然であろう。「かの」川のと表記もあるところから、伊豆の狩野川などと同義ではないかとの考えもある。そうすると語構成から考えて、「曲がった」川などの可能性もあるか(櫻井澄夫説)。なお大日本地名辞書の吉田東伍などは神奈川とは、滝野川のことだと考えていて、上無川であるとは考えていない。川の大きさから考えて、その地域を代表する地名が集落名になったであろうことを考慮して有力とする説もある。
- その他の地名
区内の町名は、古くからの地名に因むものや、東海道と神奈川宿に因む歴史的な町名が多い。
- 「出田町」・「大野町」・「鈴繁町」・「橋本町」・「星野町」・「守屋町」・「山内町」という臨海部の町名は、海岸沿いを埋め立てた開発者の名に因む。
- 「ガーデン山」という三ツ沢にある不思議な地名は、大正期から第二次世界大戦まで、東京で証券会社を経営していた大澤幸次郎の屋敷に、息子の大澤幸雄が植物園や小動物園を建て、市民にも開放していた「横濱ガーデン」という5万坪もの広大な庭園があったことからきている。
- 神大寺と羽沢町には、戦国武将太田道灌が小机城攻めの折に軍を率いて立ち寄ったとの伝説を持つ「道灌森」・「赤田谷戸」・「磔原」・「九養塚」・「硯松」・「十三塚」などの地名が残されているが、これらもいわゆる民間語源説とみるべきであろう。例えば「十三塚」には民俗学の方面からのかなりの研究があり、戦国期の戦闘とは関係がない。
- 区西部の旧農村部には、「日枝橋」・「谷戸田」・「下耕地」・「道慶谷戸」・「熊野堂」・「猿渡」・「狐谷戸」・「深田」など、かつての農村時代をしのばせる名や伝説などに因んだ区画の名前があった。これらは町名からは消えてしまったが、交差点名やバス停名として、今でも残っているものもある。
- 高島嘉右衛門とは、開港後の横浜で近代化に欠かせないインフラ(ガス、上・下水道、電気)の敷設に寄与し、新橋・横浜間の鉄道用地捻出のために、神奈川(青木町)から横浜(野毛浦)までの、約1.4kmの埋め立てを行った人物。西区の高島町(現:高島)も同源である。
- 町名等
- 西寺尾一~四丁目
- 松見町1~4丁目
- 新子安一~二丁目
- 子安台一~二丁目
- 神之木町
- 神之木台
- 子安通1~3丁目
- 入江一~二丁目
- 守屋町1~4丁目
- 恵比須町
- 宝町
- 西大口
- 大口仲町
- 大口通
- 七島町
- 白幡町
- 白幡東町
- 白幡西町
- 白幡南町
- 白幡上町
- 白幡仲町
- 白幡向町
- 浦島丘
- 鳥越
- 立町
- 富家町
- 西神奈川一~三丁目
- 二ツ谷町
- 台町
- 鶴屋町1~3丁目
- 金港町
- 幸ケ谷
- 亀住町
- 栄町
- 山内町
- 星野町
- 新浦島町1~2丁目
- 出田町
- 橋本町1~3丁目
- 千若町
- 千若町1~3丁目
- 大野町
- 桐畑
- 高島台
- 上反町1~2丁目
- 沢渡
- 松ケ丘
- 泉町
- 反町1~4丁目
- 松本町1~6丁目
- 栗田谷
- 旭ケ丘
- 瑞穂埠頭内(一般人立入不可)
- 瑞穂町
- 鈴繁町
(出典:Wikipedia)
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