ランキングモンスター

日本鉄道建設公団-発足の背景とAB線建設について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
1.概要
1.1.発足の背景とAB線建設

東海道新幹線の建設が進められていた1960年代初頭、国鉄は主要幹線や首都圏の輸送増強策にともなう過大な経営・組織上の負担がネックとなって地方の新線整備が進まない事態となった。また国鉄内部の諮問委員会は、国の政策による国鉄自身の負担が、今後の経営に深刻な影響を与える要因のひとつになると警告していた。これに対して政府は地方の新線建設を積極的に推進するため、鉄道公団を新設することで国鉄から新線建設事業を切り離した。

公団発足にあたっては当時自由民主党の有力議員で、「日本列島改造論」の持論を掲げていた田中角栄が大きく関与したとされる。特にAB線は政治的意向を反映したいわゆる「我田引鉄」の温床となり、国鉄の累積債務増大の主な原因となった。

1966年に赤字転落後、悪化しはじめる経営の建て直しに迫られた国鉄は1968年、慢性的な赤字に陥っている全国83路線(いわゆる「赤字83線」)を廃止する方針を決めたものの、一方で公団が建設する新しい赤字ローカル線を次々と引き受けさせられる事態となった。1970年に完成したA線の白糠線上茶路-釧路二股(のち北進)間のように、開業しても膨大な赤字が避けられないとして国鉄側が路線の引き受けを拒否したにも関わらず、政府が強制的に国鉄に移管させたり、油須原線のように国鉄が引き受け拒否を貫いて未開業のまま終わったケースもあった。

こうした鉄道公団による国鉄のAB線整備は、国鉄再建法がスタートした1980年に運輸省が建設凍結を決めたことで事実上終了した。

結局、国鉄が公団から引き受けて開業したAB線25線区のうち、JR各社に継承され現存する線区は半数以下の12線区にとどまっている。5線区が民営化までに廃止され、7線区が第三セクターに転換されたが、その後転換3線区とJR継承1線区が廃止に追い込まれている。一方、工事途中で凍結された未成線区のうち14線区は、国鉄に代わる受け皿の第三セクターが設立されて工事が再開され、2002年までにすべて建設が終了した。

(出典:Wikipedia)

ランキングモンスタートップ日本鉄道建設公団>発足の背景とAB線建設

日本鉄道建設公団を検索
日本鉄道建設公団のブログを検索
日本鉄道建設公団の動画を検索
日本鉄道建設公団の画像を検索
日本鉄道建設公団の書籍を検索
日本鉄道建設公団の音楽を検索
日本鉄道建設公団のDVDを検索
人気の音楽・映画・コミックのランキングランキング★モンスターでチェック!