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3.事件の経過
- 10月26日、朴正煕大統領が金載圭中央情報部長に暗殺される(朴正煕暗殺事件)。
- 10月27日、崔圭夏国務総理が大統領権限代行に就く。済州島を除く全国に非常戒厳令を宣布。
- 12月12日、全斗煥保安司令官が、戒厳司令官である鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕。陸軍第3軍司令部と、陸軍本部及び国防部を襲撃し、国防長官をも拘束、韓国軍全軍を掌握する。粛軍クーデターと言われる。
- 4月14日、全斗煥が中央情報部長を兼任。
- 4月中旬、労働者と学生の民主化要求デモが激しさを増す。
- 5月14日、ソウルで5万の学生が戒厳令の解除と早期改憲を求めてデモ。
- 5月15日、10万の学生がソウル駅前に集結するが市民の呼応が少なく、学生指導部は当局に学生の意思が伝わったとして大学に戻る決定を行う(ソウル駅回軍)。
- 5月16日、光州市で5万の学生・市民が参加し「民族民主化聖会のためのたいまつ大会」(民主大聖会)が行われる。
- 5月17日、戒厳司令部が非常戒厳令を済州島を含む全国に拡大。
- 5月18日、戒厳司令部が金大中、文益煥、金鍾泌、李厚洛など26人を騒擾の背後操縦や不正蓄財の嫌疑で逮捕し、金泳三を自宅軟禁した。政治活動の停止、言論・出版・放送などの事前検閲、大学の休校などを盛り込んだ戒厳布告を発表。
- 同日未明、光州市の全南大学と朝鮮大学に陸軍第七空挺旅団の三三大隊と三五大隊が配置される。朝、全南大学の校門前でこの空挺部隊と学生が衝突。排除された学生は光州駅前で体勢を立て直して錦南路をデモ行進し、機動隊と衝突。午後、空挺部隊が市内各所に投入され学生を鎮圧。400人以上の学生が連行され、80人が負傷。
- 5月19日、陸軍第十一空挺旅団が急派される。デモの主体は市民に変わり、角材、鉄パイプ、火炎瓶などを使用して対抗。
- 5月20日、群集は20万人以上に膨れ上がり、対峙した軍・警察は3万人、(戒厳軍の声明を伝えていた)韓国文化放送光州市支局がデモ隊によって放火された。バスやタクシーを倒してバリケードを築くなど、陸軍部隊との市街戦の様相を呈した。
- 5月21日、市民は亜細亜自動車や、軍需関係工場,予備軍の武器庫を襲撃して、装甲車などの車両や銃器やTNT爆薬なども奪取し、全羅南道庁を占拠した。光州での惨状を知らせるため、市外に向かうデモ隊の一部が、その途中にあった光州刑務所の戒厳軍から刑務所奪取だと誤認され、銃撃をうけた。軍は一時撤退した後、光州市と外部の鉄道、道路及び通信回線を遮断した。
- 5月22日、陸軍部隊が光州市の包囲を完了。「市民収拾対策委員会」が組織され、軍との交渉を開始したが、抗争隊指導部は軍との妥協に反対し、光州市民側にも「事態収拾派」と「抗戦派」の意見の対立が現れ始める。市民に、更なる抗争を恐れた離脱者が出始める。
- 5月23日、5万名の市民大会開催。
- 5月24日、数万名の第2次市民大会、雨の中で開催。
- 5月25日、5万名の第三次市民大会開催。「光州民主民衆抗争指導部」が抗戦派中心に結成され、「金大中の釈放」「戒厳令撤廃」を要求し、最後まで戦うことを決議。
- 5月26日、陸軍部隊が戦車で市内に侵入開始。
- 5月27日、数千名の部隊が戦車とともに市中心部に進出して、市内全域を制圧。抗争派を中心に、市民に多数の死傷者が出る。
- 5月28日、数千名の市民が逮捕・拘留される。
- 8月には、金大中に、内乱予備罪・陰謀罪・反共法違反・国家一級保安法違反を理由とする死刑判決が言い渡された<ref>真鍋祐子著 『光州事件で読む現代韓国』、平凡社、2000年5月。</ref>。
(出典:Wikipedia)
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