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2.2004年4月、日本人3名
2.1.概要
以下の出来事は全て2004年のものである。また、最初の3名に関するもののほか、時期的に重なっている2名(次項で解説)の出来事も含む。
- 3月31日 ― ファルージャで武装した米国警備会社の社員4人が殺害された。
- 4月6日 ― 米軍が報復としてファルージャ攻撃を開始する。
- 4月6日 ― 外国人拉致事件の最初の事件が発生する。(拉致されたのはイギリス人)
- 4月7日 ― イラクで日本人3名(ボランティアと称する女性、フリーカメラマンの男性、ジャーナリスト志望の未成年の少年)が武装勢力によって誘拐される。
- 4月8日、カタールの衛星テレビ局「アルジャジーラ」が犯行グループから送られてきた映像を放送した。映像の中において犯行グループは、イラクのサマーワに駐留している自衛隊の撤退を要求する声明を発表した。犯行グループからの要求に対し、日本政府は自衛隊を撤退させる考えのないことを表明。
- 4月10日 - 小泉純一郎首相は、自衛隊を撤退する意思がないことを明らかにするとともに、人質の救出に日本政府として全力をあげるよう指示を出した。また、人質となった日本人3人の家族が東京でアルジャジーラの取材に応えて人質解放を訴え、その映像が中東全域に放送された。
- 4月11日 - 武装グループからアルジャジーラにあてて、「イラク・ムスリム・ウラマー協会の求めに応えて3人の日本人を24時間以内に解放する」との内容のファックスによる声明が届き、日本では一時楽観ムードが漂ったが、期限内の解放は実現されなかった。人質解放に尽力したといわれるイスラム聖職者協会のクバイシ師によると、小泉首相の発言が原因で人質の開放が遅れたという。クバイシ氏は「日本の(小泉純一郎)首相が彼らを『テロリスト』と呼んだことが人質解放にかかわる事態を複雑にしたと思う。彼らはテロリストでなく抵抗組織だ」と語ったそうである。もっとも、この発言内容の真偽は不明である。
- 4月13日 - イタリア国籍の4人が別の武装グループに拘束され、自衛隊に続いてイタリア軍に対してイラクから撤退が要求された。この間、外国人の人質事件が相次ぎ、占領行政を行う連合国暫定行政当局(CPA)の発表では12か国、40人前後が人質に捕われたとされる。
- 4月14日 - 新たに、日本人2人(自称ジャーナリストとNGO団体職員)がバグダード西方で何らかの武装勢力により連れ去られた。一方、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、イタリア人人質の1人の殺害が公表された。
- 4月15日、日本人3名はイラク・イスラム聖職者協会の仲介もあり無事解放された。解放された3名は今回の犯行グループ名と思われる「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」と署名されていた犯行グループの声明文を所持していた。なお、後に解放の仲介をしたとされる地元有力者が殺害されている。
- 4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人がバグダード市内のモスクで解放され、保護された。
(出典:Wikipedia)