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駆逐艦-日露戦争について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
1.駆逐艦の歴史
1.2.日露戦争

日露戦争では、両国とも300tクラスの駆逐艦を所有していた。駆逐艦の任務は水雷艇の撃破からさらに発展し、日本の駆逐艦はもっぱら魚雷を使ってロシア艦隊を夜襲する部隊として使われた。まずは、海戦劈頭に旅順港に停泊していたロシア海軍への夜襲が行われている。しかし、この攻撃は失敗に終わっている。

また、日本海海戦の5月27日夜、日本の水雷戦隊が昼間の戦闘で傷ついたロシア戦艦群を攻撃した。丁字戦法による主力艦同士の打撃もさることながら、この駆逐艦による攻撃が多くの戦艦を葬ったのである。これは秋山真之の考えた七段構えの戦法の一部であり、駆逐艦の攻撃によって敵主力を削ぎ落とし主力艦同士の戦いを有利に運ぶための策だった。この戦法は後に発展してこれに潜水艦も加えた漸減邀撃作戦となった。駆逐艦の重要性は増大し、主力艦に肉薄して攻撃を行うことが恒常的に期待されるようになり、日本はこの戦い以降駆逐艦とその主兵器である魚雷の強化に尽力するようになった。一方、ロシアの駆逐艦(当時は水雷艇などと呼ばれた)の活動は不活発だった。日本海軍は来るべき海戦に備えて初代神風型駆逐艦を建造したが、日本海海戦には間に合わなかった。

対するロシア帝国は、露土戦争で世界最初の水雷艇(水雷カッター)による奇襲作戦を成功させた国家だった。ロシアはその後も水雷艇を重視しており、その発展に力を入れていた。しかし、日露戦争の時点ではロシア海軍には駆逐艦という類別は存在しなかった。ロシアで駆逐艦に相当する艦種が制定されたのは、1907年10月10日のことだった。

なお、ロシア海軍では他国海軍での駆逐艦に相当する艦艇類別を「艦隊水雷艇」()と呼んでいる。制定時、従来は「水雷艇」()に分類されたミノノーセツ(大型の水雷艇)、ミノノースカ(小型の水雷艇)、イストレビーテリ=ミノノースツェフ(水雷艇駆逐艦、たんにイストレビーテリ即ち駆逐艦とも)の内、ミノノーセツとイストレビーテリの比較的新しい艦級が、そして従来は巡洋艦に分類された水雷巡洋艦の比較的新しい艦級が「艦隊水雷艇」に編入された。ロシア語で駆逐艦は「イストレビーテリ」()と呼ぶが、これは海軍の正式な艦艇類別ではなく、1907年10月10日までは水雷艇、それ以降は艦隊水雷艇に含有されていた。

(出典:Wikipedia)

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