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ポツダム宣言受諾による終敗から4か月余、日本は大日本帝国憲法の施行下にあった。
GHQの民間情報教育局 (CIES) 宗教課は、国家が神道を支援・監督・普及することを禁止する「神道指令」を発した<ref name="hahanaru311">シロニー(2003)、311頁 (第8章21『「神道指令」と「人間宣言」』)。</ref>。さらに、天皇は他国の元首よりすぐれた存在で、日本人は他の国民よりまさっている、といった教説を教えることを非合法化した<ref name="hahanaru311" />。しかし、天皇が皇居でとりおこなう宗教儀式は私的なことがらとされて、禁じられなかった<ref name="hahanaru311" /><ref>Woodard, The Allied Occupation, pp.54-74, 295-299.</ref>。占領当局は天皇自身で自分の神格を否定してほしいと期待したため、神道指令では天皇の神格について言及しなかった<ref name="hahanaru311" />。自分を神と主張したことのない昭和天皇は、占領当局の意向に同意した<ref name="hahanaru311" />。
宮内省は、学習院の英語教師・レジナルド・ブライスに、占領当局が納得するような案文を練るよう依頼した<ref name="hahanaru311" />。ブライスはGHQの教育課長で俳句の造詣が深かったハロルド・ヘンダーソンに相談し、ふたりは人間宣言の案文を作成した<ref name="hahanaru311" /><ref>Adrian Pinnington, `R.H.Blyth, 1898-1964', in Nish, ed., Britain and Japan, pp.258-260; Woodard, The Allied Occupation, pp.245-268, 314-321; Masanori Nakamura, The Japanese Monarchy: Ambassador Joseph Grew and the Making of the“Symbol Emperor System", 1931-1991 (tr. by Hebert P. Bix, Jonathan Baker-Bates and Derek Bowen. Armonk, N.Y.:M.E. Sharpe, 1992), p.109.</ref>。
以下、木下道雄侍従次長の『側近日誌』を元に再現する。
- 12月25日以降、幣原自身が前田案をもとに英文で原案を作成し、秘書官に邦訳を命じた。推敲は前田文相、次田書記官長、楢橋法制局長官等で行った。過労の幣原に代わり、前田文相が天皇に会い、天皇から「五箇条の御誓文」付加の要請を受ける。マッカーサーにも案文を示す。
- 12月29日、木下道雄侍従次長は原案に手を入れて別案を作り、石渡宮相・前田文相に示した。別案は天皇が神の末裔であることを否定するものでなく、「現御神」であることを否定するものであった。
- 12月30日、木下は石渡が手を入れた木下案を次田に渡し、閣議で検討された。同日午後4時30分、岩倉書記官が閣議案を木下の元に持参した。木下は更に手を入れ、天皇に中間報告を行い、閣議に戻した。5時30分、前田文相が天皇に会い、文案の許可を得た。午後9時、正式書類が整い、完成した。
- 12月31日、幣原の意を受けて前田文相は木下侍従次長を訪問し、マッカーサーに案文を示した天皇が神の末裔であることを否定する内容の復元を求めた。木下は侍従長とともにこれに同意し、天皇に報告した。天皇も天皇が神の末裔であることを否定する内容への変更の許可を与えた。
しかし、日本語で発表されたものは天皇が神の末裔であることを明確に否定したものではなく、「現御神」(現人神)であることを否定するものであった。これに対し、原案の英文は「the Emperor is divine」を否定するものであった。「divine」は王権神授説などで用いられる「神」の概念である。英文の詔書は2005年に発見され、2006年1月1日の毎日新聞で発表された。渡辺治は同紙に以下のコメントを寄せている。