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就任当初は「未来志向」を謳い、日本と良好な関係を結ぶと期待された。初めての訪日が顕忠日という殉国者に敬意を払う日と重なり批判を浴びたが、盧武鉉は「私たちはいつまでも過去の足かせに囚われているわけにはいかない」<ref>『「韓日、過去の足かせから自由になるべき」』、朝鮮日報、2003年6月6日</ref>と主張して、訪日の重要性を強調した。日韓首脳が頻繁に会談し意見交換する必要があるとの認識から、当時の日本の首相である小泉純一郎との間でシャトル首脳会談を推進することで合意し、相互を往復して会談を重ねた。
しかし従来から日本と韓国の間にあった双方が必要に応じて棚上げしてきた問題について、人権派弁護士として軍部独裁に反対する学生とともに歩んだ盧武鉉は文民政権の正当性を確立するために歴史の清算にこだわったが、小泉には通じなかった。盧武鉉は期待を裏切られたと感じて失望していった<ref>『「似て非なる」日韓首脳の誤算』、日本経済新聞、2006年9月3日。</ref>。
2005年3月、盧武鉉は三・一節の演説で日本に植民地支配への明確な謝罪と反省、賠償を要求し、ついに対日強硬政策へと舵をきった。しかし演説への論評を求められた小泉は盧武鉉の発言は国内向けと応じて取り合わなかった<ref>『韓日首脳の衝突 発端は小泉首相の「国内向け」発言』、朝鮮日報、2005年3月18日。</ref>。両者の亀裂は決定的なものとなり、盧武鉉は「外交戦争も辞さない」という強い表現で日本への批判を続け、最終的には小泉の靖国神社参拝を理由として首脳会談を中止した。日本の左派系大手マスコミは日韓関係の悪化の責を小泉に求めたが、小泉はこれを容れず、また北朝鮮による拉致が明らかになることで変化した日本の世論も、小泉を支持した。
2006年4月25日に盧武鉉は特別談話を発して、日本にこれ以上の新たな謝罪を求めないとしながらも、幾度か行われた謝罪に見合った行動を求めた<ref>『韓日関係についての大統領特別談話文』、駐日韓国大使館、2006年4月25日。</ref>。
上合法だというならば、そんな国際法に意味はあるのか」<ref>『【海洋調査】盧大統領「第二の侵略行為だ」』、朝鮮日報、2006年4月19日</ref>と猛反発したことから、一連の動きは露骨な対決姿勢の表れとみなされ、日本との外交関係は更に悪化した。同日に北朝鮮が行ったミサイル乱射に対しても両国は連携できず、国連安保理での制裁議論に際して、日本は韓国に対する配慮を行わなかった。 また、2006年4月21日付のワシントンポストにおいて、盧武鉉政権が海上保安庁の竹島周辺海域海洋調査を阻止するために日本政府への具体的な圧力として、『島根県内の防衛庁(現防衛省)施設』に対する軍事攻撃を検討していたことが明らかとなり、仮に攻撃が行なわれたとして自衛隊との軍事的衝突はおろか、国際的な非難と信用の失墜及び最悪経済制裁を受けていた可能性もあっただけに、韓国国内からも盧武鉉政権の独断ぶりに憂慮の声が強く挙がった<ref>無論これは大韓民国憲法で定められている第1章「総則」の第5条「大韓民国は国際平和の維持に努力し、侵略戦争を否認する」に違反する。</ref>。
2006年10月9日、小泉のあとを受けて首相に就任した安倍晋三とのあいだで約11カ月ぶりに日韓首脳会談が行われた。しかし盧武鉉は同日に北朝鮮による地下核実験があったにも関わらず、会談時間の半分近くを歴史認識問題に割いたために両国の溝は埋まらず、共同文書の発表に至らなかった<ref>『盧大統領 歴史認識にこだわり』、毎日新聞、2006年10月10日。</ref>。
はあったのか]』、朝鮮日報/朝鮮日報JNS、2007年1月9日。</ref>。
俳優・草彅剛との対談を行った時は、両国で生中継された。